2023.04.25 政策研究
第37回 競争性(その6):垂直的競争
二重行政論
また、現実には、事業として保育所も家庭的保育も、両方必要だという考えもあろう。そのときには、Xは両方を行い、Yも両方を行うことになる。この場合には、X、Y間で垂直的競争は消滅したともいえる。これが二重行政といわれる。XとYとで同じ事業を行う二重行政は無駄であり、どちらか一方にすればよいという見解があろう。
もっとも、本当に二重で無駄だと考えるならば、無駄だと考える方が事業を廃止すればよいだけである。とはいえ、自分が事業から撤退することは、住民からの不満が生じるおそれがある。それゆえ、二重行政が無駄だと主張するときには、自分ではなく、相手の事業を廃止させようとする。当然、このようなことはうまくいかない。それゆえ、X、Y双方が無駄だと考えていても、二重行政は続くことになる。
とはいえ、完全に同じ事業が二重になるということは、現実には考えにくい。例えば、保育所整備・家庭的保育事業とはいえ、具体的な中身はいろいろであるから、依然として、X、Yのどちらの保育所整備・家庭的保育事業が充実しているか、住民yの支持を集めるかに関しては、垂直的競争は続くといえる。そして、このように政府X、Yを競争にさらさせることは、X及びYの怠慢を阻止する機能を持つ。もし、Xが保育所整備も家庭的保育事業もやめて、Yのみが行うとする。このときには、住民yにとっては、Yの事業を利用するしか選択肢がない。このような独占状態になれば、Yの事業内容はどんどん低水準に劣化していくだろう。どんなにひどい保育所・家庭的保育でも、住民yはそれを甘受するしかないからである。垂直的競争によって、X又はYによる「独占」の弊害を回避できるかもしれない。
役割分担論・補完論
同じ問題は、役割分担論や補完論でも生じる。例えば、保育所と家庭的保育の両方の事業が必要であるとして、X、Yともに両方をするのではなく、Xは保育所整備、Yは家庭的保育事業、にそれぞれ役割を特化・純化するという発想がある。一見すると、役割分担が分離されて、行政責任一元化に向けて整理されて、「きれい」な状態になる。ところが、こうした事態は、保育所についてはXが「独占」し、家庭的保育についてはYが「独占」することでもある。X、Yそれぞれが、垂直的競争にさらされなければ、安心して事業水準を低下させることができてしまう。もちろん、Yは他の自治体との水平的競争にさらされるだろうが、Xには水平的競争が少なければ、特にXの事業の劣化が懸念されるわけである。