2023.02.27 政策研究
第35回 競争性(その4):足による投票
東京大学大学院法学政治学研究科/公共政策大学院教授 金井利之
生産者間の競争
自治体間の競争として有名なのが、経済学的な発想を適用した「足による投票」論である。一般に、経済学では市場経済で自由競争が起きる場合には、生産者(供給者、企業など)は、消費者(需要者)に買ってもらうために、他の生産者と競争を続けなければならず、その結果として、消費者の嗜好(しこう)に合った商品(又はサービス)がどんどん増えていく、という発想に立つ。つまり、生産者間の競争は、消費者全体の利益になるわけである。消費者は、嗜好に合った商品を買い、合わない商品を買わない。もちろん、多数の消費者に受け入れられる商品は大量に生産されるが、少数の消費者向けのニッチな商品も生き残る。
ところが、行政の場合には、行政サービスという生産者間の競争がない。民主制の下の行政で、人々から民主的統制を受けているとしても、ともかく、権力的に決めてしまう。つまり、少数派の嗜好に合わない行政サービスが、多数派の嗜好に合わせて、多数決などで押しつけられてしまいやすいわけである。これは、民主的統制の下で、競争的選挙や候補者間・政党間で競争があっても同じである。候補者や政党は、人々の支持を得ようとして競争はするが、結局、選挙後の日常的な政策決定は賛成者・反対者を含めて、統一的に強要されるからである。つまり、行政は、人々の嗜好を必ずしも広く満足することはできない。こうして、市場が優れており、行政は劣っているという、「政府の失敗」という話になる。
「足による投票」論
しかし、自治体間競争があれば事情は異なる。自治体は、行政サービスの生産者である。人々は、行政サービスの消費者である。ある自治体Xを居住選択すれば、その人は自治体Xの中で多数派ではないときには、自らの嗜好に合わない行政サービスを強要される。しかし、その人は、自分の嗜好に合致する自治体Yを探して、引っ越せばよい。このように、自治体間で転居競争が起きれば、人々を惹(ひ)きつけるために、自治体は人々の嗜好に合った行政サービスを提供するように工夫をする。こうして、自治体間の競争は、人々全体の利益になる、というわけである。
人々は、自治体Xの中で、投票によって自治体Xの行政サービスを改善させるわけではない。しかし、人々は居住選択によって、実質的に影響を与える。つまり、自治体Xが嗜好に合う行政サービスを提供するならば、自治体Xにとどまる。合わないのであれば、自治体Xから転出してしまう。自治体Xは、人々が転出することは、自らの行政サービスに問題があるということの証しとして、改善に努める。こうして、自治体Xは、行政サービスを人々の嗜好に合わせるようにする。そうすると、自治体Xから転出する人は少なくなる。それどころか、他の自治体から嗜好に合った人が転入してくるようになる。もちろん、他の自治体Yなども、人々を惹きつけようとして、同じように改善努力をするので、自治体間競争には終わりがない。ともあれ、政治的な投票をしないでも、居住選択によって、事実上の投票と同じ効果が見込まれる、というわけである。
「足による投票」があれば、政府も市場に劣らない。そして、競争が起きるのは自治体間(あるいは州間)であるので、国(あるいは連邦)よりも、自治体(あるいは州)が優れているということになる。国(あるいは連邦)では、「足による投票」が作用しないからである(1)。「足による投票」論は、分権主義・連邦主義を支えるイメージに貢献してきた。