2023.02.27 議会改革
第36回 これからの時代の自治体議会を展望する
6 議会と責任
これからの自治体議会において、もう一つキーワードとなるものを挙げるとすれば、「責任」となるのではないかと思われる。政治の無責任化が進み、政治家がなかなか責任をとろうとしないこと、自治体議会の議員の不適切行為や不祥事が後を絶たないことなどを問題とするものではない。議会としての責任をもっと意識する必要があることを指摘するものだ。
本連載の第17回「議員と責任」において、議員が負う責任として、主に政治的結果に対する政治行為者の責任である政治責任(responsibility)と、適切な説明を行う義務としての説明責任(accountability)があり、民主性や透明性の確保の観点から、政治や行政における決定や結果について、国民・住民や利害関係者に対し積極的に十分な情報を提供し、説明を行い、理解を得ること、政策を十分に説明可能で合理的なものとすることなどが求められるようになっていることを指摘した。そこでは、responsibilityとaccountabilityとの区分は相対化しつつあるものの、社会的な要求への応答性とともに、その結果や社会的な批判等に対する答責性を高めることが重視されるようになっており、それらに十分に応えられなければ、責任を問われ、その責任のとり方が十分でなければ、基本的には選挙において、場合によってはリコールにより、制裁を受けることになるといえる。
問題は、これまで、執行機関により政策や行政が展開される中で、議会は、あまり責任を負うことなく、それを長などの執行機関に委ねてきたことである。議会が本来負うべき調整や決定の責任もしかりである。
しかし、議会が、その役割を果たすというのであれば、その調整や決定の責任をしっかりと負うようにすべきである。とりわけ、人口減少と厳しい財政状況の下では、あれもこれもではなく、あれかこれかの選択が必要となってくるのであり、そこでは、住民サービスの縮減や住民負担の増加となるような決定を行っていくことなども必要となる。議会としても、そのことにしっかりと向き合い、議論を通じて住民を説得し、主体的に調整・決定を行っていく必要がある。それにもかかわらず、甘言を弄(ろう)したり、不都合な事実を語らなかったり、執行部の側に責任を押し付けたり、批判するだけであれば、無責任との誹(そし)りは免れない。
現在の議会は、過去から責任を引き継ぎ、将来に責任を負っていることを自覚しなければならず、住民もまた、議会とともに責任を負うようになっていく必要がある。
他方、自治体議会の役割として、権力や情報が集中しがちな執行部の監視・けん制があり、その恣意・濫用や暴走を抑制することは議会の重要な使命といえる。そこでは、議会の場で情報を提供させ、説明させるとともに、批判することが重要な意味をもつことになる。その点では、自治体において、議会は野党的な役割を担うことになるのであり、それは、長との関係で与党的会派が存在していたとしても、変わるものではない。二元代表制である以上、議院内閣制の場合の与党といったものは存在しないのであり、長と良好な関係にあったとしても、事柄によって是々非々で臨むようにすべきである。最近、批判という行為に対して、批判ばかりで無責任と非難する風潮も見受けられるが、執行部のチェック・批判は自治体議会の責任というべきである。そして、その場合には、問題や責任の追及だけでなく、建設的な批判も必要となるのであり、例えば、執行部の側の官の発想・視点に対して、議会の側は民の発想・視点をもって対峙(たいじ)することなども求められる。
最後に一言、これからの自治において議会の強化が重要な課題であることはいうまでもないが、その一方で、議会の役割・専門性を強調しすぎることは、逆に過大な期待や負担を背負うことになり、それに応えられなければ、さらにその信頼を低下させ、失望や不信を招くことにもなりかねない。それは、かえって無責任ということにならないのだろうか。議会主義を志向した改革やあり方が、果たしてこれからの唯一の道なのかどうか。自治体の状況や身の丈に応じた「そこそこの議会」でとりあえずよしとすることがあってもよいのではないだろうか。
自治体の役割は、地域における人々の暮らしを維持し、まもり、それぞれの人生を全うしていく上で必要となる基盤を整え、その福祉や幸福に貢献することにあるのであり、自治体議会の役割や影響力の拡大は、当然それに資するものでなければならないはずである。議会も、民主主義も、その手段なのであって、目的ではない。