2023.02.27 議会改革
第36回 これからの時代の自治体議会を展望する
【コラム:議員と先生】
議員の呼称として付されることの多い「先生」をめぐっては、これを廃止しようとする動きが各地で散見される。最近も、大阪府議会で、議会運営委員会での全所属会派の賛成を経て、議長と副議長が全議員に対し「先生」と呼び合うことをやめるよう求める文書を発出し、府の職員にも要請したことが話題となった。自治体議会の中には、「先生」と呼ばないことが既に慣行として定着しているところや、そのような動きがあったにもかかわらず元に戻ってしまったところなどもあるようだ。
「先生」という呼び方が問題視される背景には、「先生」と呼ばれて勘違いをする議員がいる、選挙で選ばれた者の呼び名としてふさわしくない、市民感覚とずれている、職員との間で上下関係を生みやすい、などといったことがあるようだ。その一方で、議員の顔と名前が一致しない場合などに「先生」と呼んでおけば無難に収まり便利、年長の議員には「さん」は使いづらい、「先生」と調子を合わせているだけで特別の思いはない、といった本音も漏れ聞こえてくる。
「先生」は学問や技術・芸能を教える人、特に学校の教師を指す語とされてきたものだが、いつ頃からどのような理由で、国会や自治体議会の議員も「先生」と呼ばれるようになったのだろうか。
この点、確かなことは分からないが、明治期にまで遡るようであり、かつて書生たちがお世話になっている家の主人を「先生」と呼んだことから始まったという説がある。そして、書生を家に置いたのは、議員に限らず、実業家や医者、弁護士などでもあったことから、弁護士や医師なども「先生」と呼ばれるようになったともいう。大学教授などもともと「先生」と呼ばれる職業の出身者が議員に多かったことによるものとの説もあるようだ。
「先生」の呼称は、帝国議会から府県会や市会へと広がっていったものであり、町村議会では「先生」を使っていないところも少なくないともいわれるが、これには兼業議員が多いことや住民との距離の近さなども関係しているとの指摘もある。
また、「先生」とともに槍玉(やりだま)に挙げられるものに「君」があり、国会や自治体議会では、戦前の慣例を引き継ぎ、敬称として議員を「君」付けで呼んできているが、これも見直しの対象とされているものである。「先生」や「君」の使用が廃止された場合にそれらに代わって用いられるのは、「議員」や「さん」が一般的である。
ただ、長年の慣例を変えるのはそう簡単ではないようだ。国会でも、1993年の土井たか子衆議院議長をはじめ、議員を「さん」付けにする議長や委員長が現れるものの、人が変わると「君」付けに戻るといったことが繰り返されてきている。「先生」についても問題提起をする議員はいるものの、一般的な動きとはなっていない。
このほかに、特に衆議院議員を指すものとして「代議士」という言葉もある。これは、国民(庶民)により選挙された議員を指すものとして用いられたもののようであり、日本国憲法の下では、参議院議員や自治体議会議員も「代議士」と呼ばれてもよさそうなものだが、衆議院議員にしか使わないのが慣例であるという。
何がふさわしい呼称なのかは、時代や社会状況なども踏まえ、それぞれの議会で考えていく必要があるが、問題は、その呼称よりも姿勢や中身との議論も見受けられる。
他方、住民の側からすれば、自治体議会議員の顔も活動も見えにくいとの指摘・不満があり、これに対する取組みも徐々に行われるようになっている。
例えば、最近、議会における議員の活動を採点する取組みが少しずつ広がっているという。議会がそのような取組みを行うこともあれば(13)、民間団体が自主的に行っていることもあるようだ。その基準や客観性・中立性・公平性の確保、議員の側の反応・受入れなどの問題もあるが、議員や議会に関心をもつ一つのきっかけ、あるいは選挙等における判断材料となりうるのかもしれない。ただ、採点まで必要かどうかはともかく、圧倒的に自治体議会の議員の情報が不足していることは確かであり、ICTやデジタル技術を用いて、議員のプロフィール、活動実績、議案に対する賛否など必要な情報が住民に提供されるようにしていくべきだろう。
また、有権者が自分と考えの近い候補者を知ることができるボートマッチ(投票マッチング)の取組みも、報道機関や民間団体で行われるようになっているが、自治体の選挙管理委員会が主体となって実施する動きに対し、総務省は、公職選挙法に抵触する可能性を指摘する見解を示している(14)。マッチングはさておき、少なくとも有権者が重視する政策に関する候補者のこれまでの取組みや考え方など判断材料となる情報が容易に入手できるようにする試みや工夫については、さらに進められていくべきではないだろうか。
議員情報の公開については、一部で積極的に取り組むところも見られるようになっているとはいえ、いまだ不十分なところが多く、また、その提供に当たっては住民がアクセスしやすく興味をもてるような工夫も必要だろう。
さて、以上のような住民との関係強化を論じると、議会関係者から必ず返ってくるのは、住民の無関心や住民不信の嘆きである。確かに、民意というものは、多様であるだけでなく、流動的であり、気まぐれでもある。住民にとって民主政治は最大の関心事とは限らず、声を上げるのは自分たちの利害に直接関わる場合だけといったことも少なくない。そのような現実を前提とせざるをえないのが実情であるとしても、だからといって、住民との距離を縮める努力をしなくてもよいことにはならず、粘り強く取り組んでいくほかない。それは、議員や議会に課せられた使命であり、責務だからである。