マニフェストによる選挙の文化を創出する
(1)マニフェスト運動の深化
そこで、選挙にとって不可欠なマニフェストについて再確認したい。新たな地域の方向を議論する素材になり、選挙による政治を活性化させる手法の一つだからだ。まず、マニフェストの深化の状況を確認しておこう。
マニフェスト選挙が提起されてから今年の統一地方選挙で20年目を迎える。日本のマニフェストによる選挙は、諸外国の事例を参考に独自に考案された。当時の言説を読み返しても(東京市政調査会編『自治体政治を変える!ローカル・マニフェスト』(東京市政調査会、2006年)など)、その熱き雰囲気が伝わってくる。当時、地方分権一括法の制定などにより地方政治の重要性が脚光を浴びていた。その政治には、住民参加の充実とともに、選挙の活性化が第一級の位置を占める。選挙に実質的な意義を見いだし政治を活性化させたのが、マニフェスト運動である(3)。
① 首長によるマニフェスト・サイクルの充実と広がり。マニフェスト運動は、首長選挙から始まった。改革派首長は、マニフェストを掲げて選挙に挑んだ。マニフェストは、政策の事前検証(選挙の際の政策比較)、及び事後検証(次回の選挙の際)の素材である。中間検証も制度化された。その検証に際して、自己評価とともに第三者評価も一般化している。マニフェスト作成の際に住民の声を聞く手法も広がっている(大西一史・熊本市長など)。なお、マニフェストは総合計画の素材となるがゆえに、マニフェストを起点に住民、議員、首長とが討議する空間が創出されている。まさにサイクルが回ってきた。
② 議員・会派(議会)のマニフェストによる活性化。当初、議員・会派のマニフェストは、否定的か(予算執行権もないのだからマニフェストは空虚でその位置をおとしめることになる)、消極的に(議会改革は可能であっても政策については難しい)評価されてきた。これらの危惧を払拭したのは、マニフェスト運動を担っている議員・会派であった。理論を超える実践がここにある。そもそも、マニフェストを否定的・消極的に評価する論者は、何を基準に投票することを想定しているのか。マニフェスト運動は、人ではなく、また口約でもなく、マニフェストを政策競争の起点としている。この議員・会派のマニフェストは、機関として作動する議会の中に融合し、その中身を豊富化し実現させる。それによって議会による監視や提言は充実する。それらのマニフェストは、住民との意見交換会によって豊富化する。会派の中には、条例提案作成の際に住民の意向を反映させるDecidim(市民参加のためのデジタルプラットフォーム)を活用しただけではなく、マニフェスト作成に活用している(よこはま自民党(自由民主党横浜市支部連合会・自由民主党横浜市会議員団・無所属の会))。マニフェストであるがゆえに、住民を巻き込んだ検証大会も行われている。首長のマニフェスト・サイクルと同様なサイクルが議員・会派でも回っている。なお、議員任期は4年であるがゆえに、この4年間の議会活動の検証を行う議会もある。次期議会に議会改革をつなげる(岐阜県可児市議会など)。通任期(4年間)を意識したサイクルである。
③ 住民によるマニフェスト運動の豊富化。公開討論会、中間・最終検証大会を住民・JCが開催することも珍しくない。候補者の政策を比較して投票できる環境をつくり出す住民団体もある(政策研究ネットワーク「なら・未来」など)。
このような三者によるマニフェスト運動の深化は、マニフェストを素材とした三者による討議空間を呼び起こさざるを得ない。マニフェスト運動は、今後の政治活性化の機動力となる。
21世紀初頭のマニフェスト運動は、地方政治の活性化の第二の波である。第一の波は、高度経済成長期における環境破壊への抵抗や社会資本充実要求をめぐる運動である。まさに、今日これら二つの波を踏まえて、新たな運動が期待される。今日の議会改革や政治の活性化の大きな障壁は、多様性の欠如だ。地域経営にとって多様な人々による議論が不可欠であり、多様性に基づく討議空間が必要なことは、何度も指摘した。
町村における無投票当選の多さ(都道府県議会は一人区・二人区が圧倒的に多いことによる政党の意欲希薄化)や投票率の低下(特に大都市)は、マニフェスト運動を形骸化させるとともに、多様性を弱める。すでに指摘したように、それらは政策競争や主権者意識を欠如させ、議員の属性の偏りを招く。マニフェスト運動は、選挙によって住民と候補者をつなぐツールであるだけではなく、住民自治を活性化させるものだ。中身の充実とともに、多様性を意識したマニフェスト運動が期待される。政治分野における男女共同参画の推進に関する法律(2021年改正)は、多様性の実現を議会の課題としている。統一地方選挙を機に議員の多様性を充実させるマニフェスト運動の深化を期待する。