大正大学社会共生学部公共政策学科教授 江藤俊昭
二つの非政治の台頭とそれに抗する手法
(1)非政治(争点ずらし、及び議員のなり手不足)の状況
今年は、統一地方選挙(2023年統一地方選挙)がある。前回の統一地方選挙では、筆者は次の問題提起をした(1)。「2019年統一地方選挙は、地域経営をめぐっての評価と展望が争点となる。また、議員のなり手不足などにも注目が集まるだろう。今回の選挙が従来と異なるのは、それぞれの自治体での『地方創生』の検証が軸に展開されることである(前回の統一地方選挙〔2015年統一地方選挙──引用者注〕では動き出したばかり)。横並びで各自治体が勝者と敗者に分かれるゼロサムに代わる地域経営の方向が争点となるべきである。また、議会に代えて住民総会の設置を検討した自治体や、恒常的な夜間・休日議会を設置した議会が、議員のなり手不足問題をどのように解決しようとしているか、そしてその成果はどうなるかは注目点である」という論点である。相変わらず、これらの課題は継続している。というより、深刻化している。二つの意味での非政治化(争点はずしと議員のなり手不足等(政治の回避))である。
まず一つの非政治化である争点はずし、いわば沈殿化は、この3年間、新型コロナウイルス感染症の感染拡大が世界を覆ったことによる争点移動だ。感染拡大によって地域が疲弊した。地道な自治体政策だけではなく、「やっている」感のある首長も見受けられた。首長主導型民主主義のまん延である。筆者は、行政がアップアップという状況の下で、議会・議員は住民の声を聞き、もちろん行政を邪魔することなく、情報提供と政策提言を行政に行うことを主張していた。討議空間をつくり出すことである。これに対して、コロナ禍の首長主導型民主主義は、専決処分を連発する。生活や感染の不安からそうした首長を肯定する住民もいる。まさに、政治を多様性に基づく討議と考えれば、それとは正反対の非政治の状況である。
こうした非政治の発想と状況(争点の沈殿化)がまん延しているのは、これだけではない。ほぼ1年が経過するロシアのウクライナ侵攻である。これに自衛隊の増強や原子力発電所の再活用といった従来慎重に議論すべきテーマについて、討議を飛ばした、いわば「火事場泥棒」的な傾向に拍車がかかる。ロシア、中国、北朝鮮の動向はこれを推進する(どっちもどっち論は採用しないが、連鎖を断ち切る手法を考えなければならない)。
こうした動向だけではなく、もう一つの非政治、つまり政治への回避が広がっている。投票率の低下と無投票当選である。これらは、政策競争の欠如(住民に対する政策の提示ができない)、主権者意識の希薄化(選挙の場が失われ主権者意識が薄らぐ)、多様性の欠如=議会の危機(無投票当選は議員の固定化(高齢化、男性優位))、を招く。