2022.12.26 政策研究
第33回 競争性(その2):競争相手の設定
競争相手の設定をめぐる政争
そもそも、政権側が常に「必勝」戦術をとるとは限らない。むしろ、現状では他団体と比較して劣後していることを示した上で、政権の取組みによってそれをこれから改善する、という目標の提示は、よくある戦術である。いわば、「追いつき、追い越し」を目標として掲げ、競争相手を設定し、自らの挑戦を公約するわけである。政権は、過去の業績の良さをウリにすることもあれば、将来の業績への希望をウリにする場合もあるからである。この場合、政権は、権力を持ちながら、他自治体という競争相手に対しては、挑戦者の立場を占めることになる。本来、政権は為政権力を担うことに対して、その成果を挑戦者に弁明する防衛者(ディフェンディング・チャンピオン)の位置にある。しかし、にもかかわらず、競争の舞台を、自治体内から自治体外にずらすことで、自治体内の挑戦者のお株を奪うわけである。
自治体内の挑戦者としては、①「政権側の失政のせいで現状が悪い」、②「政権側の目標が低い」、③「政権側はどうせ目標を達成できない」などと、政策論争という競争をすることになろう。しかし、①の論争を政権側が回避して、将来への夢物語にアジェンダを設定されてしまうと、挑戦者の立場は苦しい。仮に政権側の実績が悪いとしても、それだけでは挑戦者としては足りない。挑戦者が政権をとったら、今よりも良くなることを主張せざるを得ず、結局②をいうことになる。②を受けて立つ場合には、挑戦者は政権側と比べてさらに野心的・非現実的な目標を掲げざるをえず、政権側より不利になる。③の場合は、結局、当面の政権運営を甘受し、「お手並み拝見」を続けるしかない。つまり、短期的な挑戦を諦めることである。②③は、いずれも政権側の思うつぼなのである。
(1) 2016年や2020(21)年の東京オリンピック招致合戦における主たる競争相手の都市である。なお、その前後には、ロンドン(2008年)やパリ(2020年)でオリンピックが開催されるので、開催都市の「格」のイメージとしては、東京はロンドン、パリに匹敵すると(リオデジャネイロ(2016年)を無視して)考えているだろう。