2022.12.26 議会改革
第34回 議員定数の問題にどう臨むか
(2)戦後の議員定数をめぐる攻防と変遷
自治体議会議員の定数は、戦前の定数を増加させる形でその制度を引き継ぐこととなったが、それをめぐっては様々な攻防が展開されることとなった。
まず、1947年の地方自治法の改正では、市町村議会の議員定数を変更できるのは原則として減少する場合とし、その増加は市町村の廃置分合・境界変更により著しく人口が増加した場合に限定されることとなった。これは、アメリカの自治体の議会に比べて議員定数が多すぎであり、上記の場合に限り定数増加を認めれば足りるとするGHQの意向を受け、衆議院修正により追加されたものであった。また、市町村の議員の定数増減条例は市制・町村制では、市にあっては内務大臣、町村にあっては都長官・府県知事の許可が必要とされ、地方自治法では所轄行政庁の許可とされていたが、それにあわせて、許可の規定は削除されるとともに、著しく人口が増加した場合の任期中の議員定数の増加については著しく減少の場合も追加され、著しく人口の増減があった場合とは廃置分合・境界変更の場合であることが明記されることとなった。
さらに、1952年の地方自治法の改正に際しては、政府から、都道府県議会・市町村議会ともに議員定数の法定主義を改めて法律には議員の定数の基準のみを定め、議員定数を各自治体が条例で定めることとするとともに、その基準については戦前の議員定数その他地方行政調査委員会議の勧告等(11)を勘案し現行定数よりも少ないものなどとする法案(12)が国会に提出された。この法案に対しては、全国三議長会などが反対したほか、国会でも、与野党から、議員定数の減少には反対しないものの戦前の議員定数に戻すことには疑問があるとの意見が表明され、衆議院で、都道府県議会の議員定数について、市町村議会と同様に条例により人口を基準とする定数以下に減少できるようにするなどの内容に修正され、これが成立することとなった。
その後も、人口移動が激しかった東京都の特別区をめぐり都の議員定数に関する特例を定めるなどの改正が行われ、特別区に係る定数の問題が法律で対応されることとなった。
このように、自治体議会議員の定数は、基本的に地方自治法が定める数(法定定数制度)とされ、条例でその定数を減少させることができることとされたが、1980年代以降、多くの自治体で、定数減数条例が制定されることとなった。その背景にあるのが、地方行革の動きである。
すなわち、1970年代後半に深刻な財政危機に直面した政府は、第二次臨時行政調査会(第二臨調)を設置し、そこを舞台に「増税なき財政再建」を基本方針に掲げて歳出の削減とスリム化の検討が進められたが、第二臨調は、自治体に対しては、定員の合理化・適正化や給与・退職金の適正化等を提言し、特に1982年の第3次答申「基本答申」や1983年の「最終答申」では、自治体議会の合理化にも言及し、議員定数については減数条例による削減を評価しつつも一層の簡素化を要望するとともに、法定定数の減少の方向での見直しにも触れている。第二臨調を受け継ぎ1983年に発足した第一次臨時行政改革推進審議会でも、議員定数の削減・議員報酬の適正化等の議会の合理化が1984年の「当面の行政改革推進方策に関する意見」に盛り込まれ、また、それを受けて、国は、1985年に「地方行革大綱」(地方公共団体における行政改革推進の方針)を策定し、地方行革の推進に関する指針を示し、各自治体が「行政改革大綱」を自主的に策定すべきことを求めたが、そこで示された七つの重点事項の一つとして、議会の合理化も、組織・機構の合理化や給与の適正化などと並んで掲げられていた。
そのような地方行革の流れの中で、議員定数の削減が全国各地で進められたものであるが、自治体によっては、住民が定数削減の直接請求を行う動きなども見せた。