2022.12.26 議会改革
第34回 議員定数の問題にどう臨むか
2 議員定数の変遷
(1)市町村会・府県会からの変遷
戦前の市町村会の議員の定数については、1888年の市制町村制では、全国一律に人口を基準として法律の規定により算出されることになり、市会については、人口5万未満の市では30人、人口5万以上の市では36人、人口10万以上の市では人口5万が加わるごと(人口20万以上の市では人口10万が加わるごと)に議員3人を増し、60人が定限とされていた。町村会の定数は、人口1,500未満の町村が8人、1,500以上5,000未満が12人、5,000以上1万未満が18人、1万以上2万未満が24人、人口2万以上が30人であり、条例によりこれを特に増減することが認められていた。議員定数が市会では3の倍数、町村会では2の倍数となっているのは市会が3級選挙制、町村会が2級選挙制を採用していたことによる。
市町村会の議員定数は、1911年の市制町村制の全部改正により改められ、市会の定数については、人口段階が変更されるとともに、定数の定限が廃止され、条例をもって増減できることとされた。市会の定数は1921年と1943年に、町村会の定数は1926年にも改正されたが、町村会の1926年の改正では人口1,500未満の町村の定数8人が町村の自治の発展に伴い施設経営が増加している現状ではあまりに少数にすぎるとして、人口5,000未満の町村はすべて12人とするものであったのに対し、市会に関する1943年の改正では、人口30万を超える市の増員の程度を少なくし、再び80人とする定限が設けられることとなった。
他方、府県会については、1890年の府県制では、その定数は勅令で定めることとするとともに、各都市とも最低1人の議員を選挙することとされたが、勅令に委任されたのは、法律で固定するよりも、人口の増減等が生じた場合に弾力的に定数が変更できることがその理由とされていた。勅令(府県会議員定数規則)では管内人口70万までは30人、70万以上100万までは5万が加わるごと(100万以上は7万が加わるごと)に1人を増やすこととされていた。これに対し、1899年の府県制全部改正では、議員定数が勅令ではなく法律で規定されることとなった。府県会の定数については、各選挙区の定数に関する改正はあったものの、戦前は、1943年の改正で、議員定数の定限が90人と規定され、同年制定の東京都制で都議会の定数は100人と定められたにとどまる。
戦後となって、1946年の市制、町村制、府県制、東京都制の改正では、それぞれの議員の定数の増加が図られ、市会については1943年の減少前の規定に戻され、定限が80人から100人に増加され、町村会では人口2,000未満12人の段階が設けられ、人口2万以上を除きそれぞれの段階の定数が4人ないし2人増員されるとともに、都議会・道府県会については、基準定数が30人から40人、定限が90人から100人、都議会の定数が120人に変更された。
1947年の地方自治法では、市町村議会の定数、都道府県議会の定数ともに、これらを基本的に引き継ぐこととなったが、都議会についても定限120人の範囲内で人口基準として定数を決められるようになった。このほか、市町村議会の定数については、条例で特に増減できるとされていたのに対し、都道府県議会の定数については画一的に法定化された。また、都道府県議会の定数は従前どおり総選挙(9)を行う場合でなければ増減できないと規定されていたのに対し、市町村議会の定数は総選挙を行う場合でなければ増減できないほか、著しく人口の増減があった場合の増減の例外については、衆議院の修正で増加の場合だけに限定された。
なお、その政府原案では、市町村の議員定数を減少したために議員を任期中に解任する必要が生じた場合の規定が設けられていたが、GHQからの非民主的との指摘を受け、衆議院修正の際に削除されている(10)。