2022.11.26 政策研究
第32回 競争性(その1):競争性の基盤
選挙という競争
自治体の首長・議員は、これを選挙で選出することになっている。選挙にもいろいろな方式がありうるが、通常は、複数の立候補者(選択肢)に対して、多数の有権者(選択者)が投票して、相対多数の票を獲得した者を当選者として選抜するものである。有権者の票を求めて、候補者間は競争する形態になっている。このような競争の勝者が自治体の為政者である以上、自治体行政が競争の論理を内在化させるのは、むしろ自然なことかもしれない。当人が激しい弱肉強食の競争にさらされながら、「皆で仲良く共存共栄しましょう」、「争いごとはやめましょう」、「意見が一致するまでよく話し合って合意形成しましょう」などという手法や施策を展開できるはずがない、ともいえる。
もっとも、現代日本の現実は、「欠員」、「無投票」、「無風」、「多選」、「一強」、「王国」や「なり手不足」などといわれるように、選挙による競争原理が作用していない、という観察も根強い。選挙制度での選抜があるとしても、現実の選挙で激しい競争がなされるとは限らない。むしろ、「激しい選挙戦はしこりを残してよくない」、「選挙が終わったら水に流す(ノーサイド)」などという議論もある。それゆえに、(有力)候補者は「談合」によって事前に一本化しておく、という運用もあろう。最も強い者は「戦わずして勝つ」ものであり、競争させないための水面下での権力闘争がある。そもそも、現職政治家にとっても、政治家を目指す者にとっても、激しい選挙戦というリスクをかけて公選職を獲得するよりも、競争制限によって、リスクを低減する方が合利的でもあろう。リスクがあるぐらいならば、多くの「カタギ」の人は立候補しない。結果的に、立候補者間でも、ほとんどリスクがない状態になる。こうして、競争のない「ムラの平和」が実現されるかもしれない。
もっとも、このような自治実践への観察が「批判」的になされること自体が、「選挙で競争があるべきだ」、「選挙で選択肢が示されるべきだ」という「競争世界観」又は規範・建前の強さの表れかもしれない。また、リスクを嫌う「カタギ」の人は立候補しないということは、立候補した人は「カタギ」ではない、つまり、「カタギ離脱」ということであり、自治体政治家は地域住民の平均的世論より、はるかに「競争好き」人間から偏って構成されることを示唆していよう。このような政治家が仕切る自治体は、仮に公益志向・公共部門であるとしても、市場競争的な世界観になじむのかもしれない。
任用という競争
政治家は「カタギ離脱」としても、行政職員はリスクを冒さない「おカタイ人」、というイメージがある。ほかに就職先がないから自治体に就職した、という「デモシカ」職員が多いかもしれない。あるいは、墓や家の関係で地元を離れられず、その際には最も安定的な職場である自治体を選んだ人もいよう。さらには、地元志向が強く、全国又は全世界での競争を回避した人が多いかもしれない。
職員になってからも、「遅れず、休まず、働かず」で、先例踏襲で変化を好まず、「大過なく」定年退職まで勤め上げる、というのが自治体職員への通俗イメージであった。ある時期までは、年齢相応に一斉に多少は昇進する。また、仮に昇進しなくても、給与面での待遇の差は小さい。「出る杭は打たれる」というように、他者との違いをアピールして優越性のマウント合戦をするような競争は、忌避される。
自治体職員とは、およそ世間一般の競争原理とは無縁の「ぬるま湯」の世界というイメージである。もちろん、こうした「異質性」の観察それ自体が、上記の政治家に対する観察と同じく、競争世界観の根強さを物語っているのかもしれない。
実際には、自治体職員になるためには、公務員試験という選抜競争試験を突破しなければならない。自治体職員が人気のない職場であれば、誰でも職員になれるという「無風」、「フリーパス」状態はあり得たであろう。労働市場の需給関係にもよるが、公務員を大量採用する時期であれば、こうしたことも生じる。あるいは、地方財政窮乏の中で、自治体職員の処遇が著しく悪ければ、同様であろう。しかし、現在の自治体ではそのようなことはない。その意味で、相当に強い競争性が作用している。
にもかかわらず、自治体人事当局者は、受験者の減少という競争倍率の低下を嘆いており、競争の強化を求め続けている。さらにいえば、公務員試験は、しばしば、学校・予備校教育における受験競争の延長線上にある。また、近年のように、入試的な筆記試験の比重が下がったとしても、民間企業への就職活動と同じく、SPIのようなウェブテスト、学歴、エントリーシート、推薦状、自己アピール、プレゼン、面接、集団討議などであろうと、競争試験であることには変わりがない。スポーツ競技にせよ、アイドル・芸能のオーディションにせよ、筆記試験ではないことは、競争が激しくないことを意味しない。