2022.10.11 政策研究
第10回 政策(平和・コミュニティ・学習・文化・芸術・学校・給食・人権)と自由・権利
平和と教育
平和なくして教育も福祉も成り立たない。日本国憲法の永久平和主義は世界に誇ることができよう。この平和主義を今の子どもたちをはじめとする後世の世代に伝えることは重要であり、そのためには学校や社会において平和教育を推進することが求められる。
平和教育の場は、様々なものが考えられる。学校での授業のほかにも、夏休み等の長期休暇期間や他の様々なイベントに合わせて、戦争の悲惨さを訴えるパネル展やビデオ上映会を開催することが考えられる。図書館・学校図書室・児童館・コミュニティセンター等において、戦争と平和に関する図書コーナーを設置したり、お話会を設定することも一策である。語り部の言葉や写真・映像等の資料は、子どもたちに大きなインパクトを与える。
議会は、予算等の議案審議や一般質問において、これに関連する事業に不足等がないか質疑や質問を行うことが求められる。ときには、予算の修正議決が期待される。
共通の物差しと自由・権利
戦争は心が生むものである。しかし、人は戦っていたとしても心の奥底では平和を求めている。ののしり合っても意味がない。では、どうしたら安心できる社会を形成し維持できるのであろうか。そのためには、共通の物差し(メジャー)が必要となる。平和・コミュニティ・学習・文化・芸術・学校・給食・人権も、その物差しとなろう。そこでは、物差しが自由や権利として認められていることが大切である。
物差しには「思考と実験」が求められ、思考では「細分化と大別化」の両方が必要
平和・コミュニティ・学習・文化・芸術・学校・給食・人権は、その実現に向け「思考と実験」を繰り返し行うことが求められる。ここで「思考と実験」は「工夫」と置き換えることもできる。平和への模索は、今まで長い間続いている。コミュニティ・学習は、失敗と漸進の繰り返しでもある。文化・芸術・学校・給食も多様性を求めることから「思考と実験」に親和性がある。人権についても歴史の中で関係者の苦しみとともに「思考と実験」を重ねてきた。
思考では、細分化と大別化の両方の見方が必要になる。細分化は、物事を詳細に検討するには向いているが、全体が分かりづらいという限界がある。大別化には、全体が分かりやすいという特長があるが、「十把ひとからげ」では細部を隠してしまうという限界があるからだ。細分化ないし大別化の一方だけでは、適正な判断をするためには不十分である。
自治体の市民(団体・法人)や政府(議会・行政)には、まずは「思考と実験」が求められる。もちろん、「思考と実験」に際しては、情報を集め、議論することが必要となる。そして、そのためには、平和・コミュニティ・学習・文化・芸術・学校・給食・人権の持つ特性や目標を知っておくことが大切である。