2022.05.25 政策研究
第26回 区域性(その6)
事例~東京湾中央防波堤埋立地をめぐる境界紛争~
東京湾では大規模な埋立てが続いてきたが、それに伴って、埋立地はどの区に属するのかの境界紛争が生じてきた。東京都における東京湾岸は、東京市又は、それを引き継いだ東京都の「知行地」であって、特別区は内部団体にすぎないのであれば、どの区に属しても、同一市内の大字・地区などの違いにすぎないのかもしれない(2)。しかし、実際は、東京都の内部団体とされた時期も、特別区は独自の直接公選議会を有しており、さらに1975年以降は特別区長直接公選制が復活して、事実上の独立した自治体となった。そして、2000年には特別区は基礎的自治体と法認された。したがって、特別区の境界紛争は、他の市町村の境界紛争と同じ性質を持つ。
埋立地の拡大は、こうした特別区の自治権拡充の流れと並行してきた。江東区地先は、東京区(市)民のごみ埋立処分場として使用され、14号地(夢の島)、15号地(若洲)が造成されてきた。東京都は、15号地(若洲)の次の処分場として、中央防波堤内側を提案した。当初、江東区は、分散投棄を主張し、江東区地先以外の水面を提唱し、厳しい抵抗を行った。しかし、1972年6月に、他区の清掃工場の建設に地元の了解が得られない場合は中断するなどの条件付きで同意した。さらに、東京都は、中央防波堤内側埋立地の次の処分場として、中央防波堤外側を提案した。江東区は、引き続き反対表明をしたが、1974年3月に、他区の清掃工場建設を目標年次内に完成することなどの条件付きで同意した。
2001年4月に、中央防波堤(内外側)埋立地の帰属を主張する関係5区(江東区、中央区、港区、品川区、大田区)による協議会・検討会が設置された。2002年12月には、中央区・港区・品川区が帰属主張を取り下げた。そこで、全部帰属を主張し続ける江東区・大田区が、帰属問題について別途協議することとなった。2016年3月には、両区長による会談があり、東京2020オリンピック・パラリンピック大会開催前までには解決すること、部長級協議を再開することとされた。そして、同年4月から翌年5月まで、両区の担当部長による協議がなされた(全9回)。そこで、2017年6月に、両区長・議長による会談があり、両区で東京都に調停申請することと、自治紛争処理委員による合理的な勧告については受諾することを前提とすることとされた。
こうして、2017年7月に東京都自治紛争処理委員による調停を両区は申請した。同年10月2日に調停案の受諾勧告があった。江東区は受諾したものの、大田区は受諾せず、東京地方裁判所へ境界確定請求事件を提訴することになった。11月には東京都自治紛争処理委員による調停は打ち切りとなった。そして、2019年9月20日に第一審判決があり、両区が相次いで受諾し、10月に判決が確定して決着した。
2019年9月20日の判決は、以下のような内容である。①境界の確定に当たっては、両区の現在の水際線からの距離を基準とする「等距離線主義」を採用する、②歴史的沿革は、両区にとって有利に働くものではなく、等距離線を基礎としながら適宜修正することで境界を確定する、③適宜修正の具体的内容としては、海の森水上競技場を江東区に全て帰属とする一方で、埠頭用地と港湾関連用地は一体管理すべきとして大田区に帰属する、④結果として、地積割合は、江東区79.3%(約399.0ヘクタール)、大田区20.7%(約104.2ヘクタール)となる(3)。
2020年夏に東京オリンピック・パラリンピックが開催される予定であり、かつ、埋立地が会場になる関係から、これが、長年の紛争を解決するための期限として作用した。こうした「イベント」がなければ、紛争が続いたかもしれない。他方、江東区地先埋立地への長年のごみ搬入負担という歴史的沿革は、明示的には配慮されていない。現在の第三者から見れば、あるいは、現在の多くの江東区民から見ても、ごみ最終処分場への通過をめぐる江東区民・区政の当時の負担が、現在の江東区民及び江東区為政者の「利得」の謂(いわ)れにはならないといえよう。とはいえ、「ぶんどり合戦」としては、79.3%の取り分であるから、江東区にそれなりに「有利」な帰結である。もちろん、互いに全部帰属を主張していた観点からは、江東区も譲歩したとはいえるが、大田区の譲歩はさらに大きい。「折半」からどれだけ乖離(かいり)させても合意できるかが、実質的な「落としどころ」の模索であろう。
それと同時に、一応は「中立的」な理由、例えば、「等距離線主義」などが援用される。もっとも、「等距離線主義」の帰結が、「落としどころ」にならないときには、遡って「等距離線主義」がそのまま採用されることはない。調停案で検討された単純な「等距離線主義」での地積割合が、江東区89.3%、大田区10.7%であり、調停案が同じく86.2%、13.8%とするならば、さらに大田区側は裁判によって20.7%まで引き上げ、「獲物」を「ぶんどった」ともいえる。もし、どのような帰結であれ「等距離線主義」で強行できるのであれば、それは、明確な法的基準に昇華できよう。しかし、実態はそうではない。あくまで、様々な「中立的」な理由群の中から、適当に裁量的に選ぶものでしかない。とはいえ、全くの任意でもない。「等距離線主義」が一定の「相場」を形成しているようである。
(1) 地方自治協会『境界紛争とその解決─市町村の境界に関する研究委員会報告書─』(地方自治協会、1980年)。
(2) もちろん、東京都(市)内で特別区間の紛争を抑え込めても、千葉県側(浦安市・市川市など)と神奈川県側(川崎市など)との境界紛争はあり得る。
(3) 詳しくは、江東区公式ウェブサイト(https://www.city.koto.lg.jp/010121/kuse/shisaku/torikumi/20191007.html)。大田区公式ウェブサイト(http://www.city.ota.tokyo.jp/gikai/hirakareta_gikai/katsudou/chubo_kizoku/index.html)。