2022.02.25 議会改革
第27回 議会と時間(2)
8 日本の議会に関し「時間」は何を語るのか
それでは、時間ということから日本の国会や自治体議会を見た場合には、どのようなことがいえるのであろうか。
結論からいえば、諸外国と比べた場合の時間の短さであり、とりわけ、議案の審議時間の短さが際立っているといえるだろう。それは、議案全体の平均審議時間だけでなく、審議の時間・期間が長くなる対決法案の場合にもあてはまる。それなりに長い審議時間となる予算や決算については、予算や決算そのものの審議ではなく、国政・行政一般に関する審議となりがちであり、ミニ本会議化との指摘もある。
しかも、国会においては、戦後、時代を経るとともに審議時間が短くなってきているのであり、本会議と委員会の開会時間はともに減少している。とりわけ、本会議の審議時間は、次の表のとおり、欧米に比べて桁違いの短さとなっている。これに対し、自治体議会の場合には、近年の議会改革などにより議会の活動日数は増加傾向にあるものの、どこまで議案の審議時間の増加などに結び付いているかは不明であり、また、本会議の審議時間が年間100時間を超え国会よりは多い議会も少なくないが、それぞれの議案の審議時間の短さは、国会と同様というよりは、それ以上ともいえる。
表 欧米諸国議会下院との1年間の本会議開催日数・審議時間等の比較
日本では、国会にしても自治体議会にしても、その非効率さを批判する議論がしばしば見受けられるが、国会においてはスケジュール闘争が繰り広げられ、それが批判の対象となっているとはいえ、審議時間ということから見れば極めて効率化された議会といえなくもない。「議会と時間」が論じられているヨーロッパの議会では、時間の管理や効率化が問題とされることが多いが、日本の議会は、それとはかなり様相を異にする。日本の議会については、議論を尽くして意思決定を行うというよりも、一定の手順を踏みながら次々と案件を処理していく決定機関(同意機関)といった姿となっている。「合理化された議会」なのか、それとも「形骸化した議会」なのか。その評価は分かれうるところだろうが、総じて見れば国民の議会に対する評価は高くはない。
一方では非効率さが批判され、他方では不十分さが批判される日本の議会に対する見方・議論については、やや錯綜(さくそう)しているようにも見える。その背後には、様々なことが絡んでいるのではないかと思われるが、ステレオタイプ的な議論のほか、議会観の多様化、政治に関する思考様式や不信、NPM(新公共経営)など効率性重視の風潮の強まり、時間に几帳面(きちょうめん)ともいわれる国民の性向なども関係しているようにも思われる。
特に、近年は、国会をめぐっては、「決められない政治」、「決める政治」、「決めすぎる政治」といったことが語られ、議論が大きく揺れ動いてきた。しかし、時間により右往左往する、そのような言説は、それぞれの政治状況を批判するだけの表面的・短絡的なものとなりがちとなり、困難な状況を乗り越えるための知恵を働かせたり、妥協調整による新たなルールや仕組みをつくったり、審議のあり方を考えたりする機会を失うことにもつながってきたのではないだろうか。このような議論の状況は、自治体議会の見方やあり方にも何らかの影響を与えてきた可能性がある。我々は、時間をかけて討議を重ねながら決めることと決めないことの意義から改めて考えていくことが必要なようだ。