2021.08.25 政策研究
第17回 中心性(その3)
組織や集団
通常、こうした人間結合は、目に見える形では、組織や集団として現れてくる。近世以来の地域社会では、地縁集団や血縁集団が重要であろう。前者は、ムラ、集落、部落などである。後者は、イエ、家族、親族などであろう。今日でも、こうした人間結合の重要性がなくなったわけではない。しかし、様々な組織・集団が形成され、それが権力の担い手となるのが、普通である。
もっとも、組織・集団が権力を担うとしても、その組織・集団の意思決定を左右している個人は誰か、という問いは消えない。つまり、Xという組織に、自治体の意思決定を左右する権力があるとしても、そのXの意思決定を左右しているのは、組織の中の誰なのか、あるいは、組織の中の小グループという人間結合なのか、という問いは残る。Xという組織は、構成員が相互に対等平等で、特定の構成員である個人が権力を持つとはいえない「民主的」あるいは「流沙的」なものもあろう。逆に、Xという組織は、特定の個人がリーダーまたはボスとして、他の構成員を支配しているのかもしれない。そうなれば、組織Xに権力があるというよりは、個人Zに権力があり、組織内の他の構成員を支配するとともに、その権力資源を利用して、自治体での意思決定の中心となっているかもしれない。
あるいは、組織Xの中には、いくつかの小グループ・派閥があり、それぞれが合従連衡(coalition)して、意思決定しているかもしれないし、特定の派閥Yが圧倒的に支配をしているかもしれない。後者であれば、自治体を左右しているのは組織Xであるが、組織Xを差配するのは派閥Yであり、結局、自治体を左右しているのは派閥Yかもしれない。しかし、派閥Yを支配しているのは、領袖Z個人であるならば、自治体を支配するのは個人Zということもできる。ただし、それは個人Zに固有で生来的に権力が備わっているのではなく、あくまで、派閥Yを従えて、組織Xを牛耳っているから、自治体の覇権を持っている、ということである。
こうして考えていくと、権力の担い手を、どこまでも個人を追求していくこともできるし、逆に、ある程度の人間結合(組織・集団・派閥・グループなど)のレベルで止めて、それ以上深くは追究しないこともできる。つまり、どのように観察して記述するのが、最も理解に役立つかということで、提示していくしかない。
広義の人間結合とカテゴリー
目に見える形の集団や組織ではない人間結合が、権力を持っているのかもしれない。例えば、市場では、匿名の多数の個人・組織・集団が取引を行うことによって、結果的に結合をしている。市場の中で、優越的地位を持つ企業が明確に認識されることもあるが、実際には、匿名自由競争の中で、あるものは大きな利益を得て富裕になり、あるものは合理的に行動しているはずにもかかわらず窮乏する。市場は、様々な個人・組織・集団に異なる権力を付与するともいえる。あるいは、様々な個人・組織・集団が、市場という権力を巧みに援用できることもあれば、うまく活用できないこともある。市場自体、あるいは、市場において付与される様々な地位が、権力を持っているのかしれない。
こうしたことは、インターネットなどの情報ネットワークにも見られるかもしれない。いわゆるプラットフォーマーは、それ自体が市場ともいえるし、市場における優越的地位の行使者かもしれないが、ともあれ、情報ネットワークが権力を持っているのかもしれない。
それ以外にも、様々な属性・尺度で分類される各カテゴリーが、権力を持っているように見える。例えば、日本人と外国人、旧住民と新住民、男性と女性さらにはLGBTQ、所得・資産階層(階級)、高齢世代・現役世代・若者世代・子ども世代などの年齢階層、学歴、エスニシティ、文化、宗教等、人間は様々に分類できる。
例えば、男性優位社会では、男性が女性よりは権力を持っているので、自治体における地域権力構造でも男性に権力があろう。しかし、多くの男性諸個人が、目に見える組織・集団として結合しているわけではない。むしろ、多くの組織・集団の中でも男性諸個人が権力を持ち、そのような組織・集団の合従連衡がいくら行われても、男性諸個人が権力の中心にあることは変わらない、という状態である。しかも、ある男性個人Xが権力を持っているというわけでもない。男性の中でも、およそ無力な個人が大多数かもしれない。その意味では大多数の無力の女性と、全く立場は同じかもしれない。しかし、男性・女性というカテゴリーを設定すれば、権力は男性が持っているのである。
しかし、こうした広義のネットワークは、地域権力構造において、「犯人」として突き止めることは容易ではない。そもそも「犯人」は特定できない「事故」や「自殺」かもしれない。しかし、人が死んで被害者がいるならば、特定の「犯人」が存在しなくても、やはり力学は存在すると見ることもできる。統計的・傾向的に優位なカテゴリーの析出は可能であり、地域権力構造をそのように捉えることも重要である。しかし、意思決定の中心性を探究するには、あまりに漠然としている。「犯人」が特定できないと、通常の政治・行政過程では無責任体制となりかねない。そのため、個人や組織・集団のレベルで、権力を突き止めようとするお約束が採用されることが多いのである。