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2021.07.28 議会改革

第20回 地方議会・自治体議会の歴史から学ぶ

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(1)地方民会
 日本において議会制が導入されたのは明治期であり、地方議会の萌芽も明治初期にまで遡ることができる。
 「廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ」
 明治元年3月(1868年4月)に布告された五箇条の御誓文の1条では、このようにうたわれていた。その基となった福井藩出身の参与由利公正の「議事之体大意」では、公家や大名による会議の原則を述べるものとして、5条で「萬機公論ニ決シ私ニ論スルナカレ」とされていたのが、土佐藩出身の制度取調参与福岡孝弟によって1条に移された上で「列侯會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ」と修正され、さらに、長州藩出身の参与木戸孝允らが中心となって「廣ク會議」と修正したものであった。このような経緯で加わった「廣ク會議ヲ興シ」は、後に、民権論者によって民選議会を開設すべき根拠として解釈されるようになり、政府も次第にそのように解釈することになっていった。
 また、1870年代の前半頃から、各地方官によって地方行政を円滑に行うために、民情諮問機関として官選の区戸長などを構成員とする府県会、大小区会、町村会が設置されたが、これらは総称して「地方民会」と呼ばれる。この地方民会こそが、自治体議会のルーツともされるものであるだけでなく、日本の議会制度は、この地方民会から出発したともいえる。そして、自由民権運動が盛んになるに伴い、区戸長を選挙で選び、公選民会とする地域も現れることとなった(3)
 啓蒙思想家として欧米の議会制度を日本に紹介した福沢諭吉は、国会よりも地方民会創設が先決だと主張していた(4)
 公選民会をめぐっては、次第に開設の要求が強まることとなり、1875年6月に政府が召集した第1回地方官会議では、地方民会のことも議案の一つとされることとなった。それが議題となるに先立ち、河野広中らは二十余県の傍聴人の賛同を得て「傍聴人合同会議」を結成し、公選民会の開設こそ国家憲法の確立と民権の振起であるという上書を元老院に建白する。しかし、その後の地方官会議では、地方民会議案については、39対21(そのほか半公選論者1)で、公選民会は排除され、区戸長を充てるとする官選民会が決定される。これを受け、公選民会を主張して敗れた地方官21人は、連署して公選民会開設を建白した。
 この地方官会議における議論は、多くの府県で地方民会の設立を促すことにもなり、また、公選による地方民会を設けていた府県では従来どおり公選民会の継続を許容するなどの弾力的な措置をとるところもあった(5)。自由民権運動を背景に、地方民会の意気は盛んであり、県税賦課の議決権を要求したり、県令や国の政治体制・政策の適否について論じたりするところもあったという。
 地方議会の誕生は、1878(明治11)年の郡区町村編制法、府県会規則等の三新法(6)の制定による。すなわち、郡区町村編制法により、大区・小区を廃して、府県の下に郡・区・町・村を設置するとともに、府県会規則により、府県に公選議員からなる府県会が設置され、地方税で支弁する経費とその徴収方法についての議決権が付与された。府県会は、通常会と臨時会とされ、その開閉は府知事県令によるものとされ、通常会は年に1回3月に開会し、会期は30日間とされた。もっとも、これは、府県会を設置するというよりは、各府県の地方民会の存在を前提としてこれを制度的に枠付けるものでもあった(7)。執行部側との対立や政府批判などを繰り広げる府県会の活動に対し、政府は神経をとがらせ、その活動を制限する改正が次々と行われることにもなる。
 続いて、1880年には、区町村会法が制定され(8)、区町村に区町村会が設けられ、公共に関する事件及びその経費の支出・徴収方法の議定権が付与されるが、当時の区町村の主な事務は、地租の徴収、地方税の賦課、小学校の設置、公衆衛生などであった。なお、区町村会法は大綱のみを定めるもので、区町村会を構成する議員の数・任期・選出方法、会期、会議の運営などについては、当初は、区町村会規則でその区町村の便宜に従い設け、府知事県令の裁定を受けるものとされ、区町村の判断に委ねられたが、その後、1884年に当該規則は府知事県令が制定することに改められた。
 他方、国の議会については、自由民権運動が高まる中、1874年に板垣退助らによって「民撰議院設立建白書」が政府に提出され、翌年には「漸次立憲政体樹立ノ詔」が発せられ、立法機関として元老院と地方官会議が設けられるが、さらに、1881年の明治14年の政変に際しては「国会開設之勅諭」が発せられる。そして、これを受けて、1889年2月に大日本帝国憲法が発布され、1890(明治23)年11月に施行し、衆議院と貴族院からなる帝国議会が設置されるに至る。なお、大日本帝国憲法には、地方自治や地方議会について何ら定めるところはなかった。
 

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