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2021.06.25 議会改革

第19回 自治体議会の空間

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慶應義塾大学大学院法務研究科客員教授 川﨑政司

 会議体である議会が活動し、議論を行うためには、「場」が必要である。この場が議事堂や議場ということになるが、この場が設けられると、今度は「場」がその活動を規定したり、制度に影響を及ぼしたりすることになる。イギリスの首相であったW. チャーチルは、第2次世界大戦で破壊されたイギリスの庶民院の議場を再建するにあたって、次のように述べたといわれる。「われわれは建物をつくるが、でき上がると今度は建物がわれわれの行動様式を規制する」。
 その点において、議会にとって、「場」は単なる箱物ではなく、その政治空間の基礎となり、議会の姿を映し出し、その活動を枠付けるものともなる。そして、その「場」には、一定の理念や考え方が表現され、あるいは表れることにもなるのである。

1 議事堂

 議会活動が行われる建物は、「議事堂」と呼ばれる。
 国会の場合には、まず誰もが真っ先に思い浮かべるのは国会議事堂だろう。その荘重・重厚な姿は、まさに国会、そして日本の議会政治のシンボルとなっている。
 日本で、議事堂建設の話が最初に持ち上がったのは、国会開設の勅諭が出された1881(明治14)年ごろのことで、井上馨らが構想した官庁集中計画を進めるため、1886年には議事堂と中央官庁の建物の建築にあたる臨時建築局が内閣に設置され、翌年には現在の永田町の地に議事堂の場所が決定される。しかしながら、その後は、遅々として話が進まず、何度も計画が持ち上がっては立ち消えとなり、それがようやく具体化したのは、1918(大正7)年になってからのことであった。そして、この年の9月に、議事堂の建築意匠設計が懸賞募集され、1920年1月に着工、1936(昭和11)年11月に完成を見る。着工から完成まででも17年、計画の段階から数えれば実に50年余の歳月を要したことになる。
 一方、現在の議事堂ができるまでの間、すなわち帝国議会が開設された1890年から1936年までの46年間については、仮議事堂を使用する時代が続いた(1)。壮大な議事堂を建設するには何分にも時間と費用がかかるため、とりあえず日比谷の一角(現在の経済産業省の辺り)に仮議事堂を建設して、間に合わせることとしたものであった。
 「白亜の殿堂」とも呼ばれる国会議事堂の敷地面積は約10万3,000平方メートル、建物は地下1階・地上3階(部分的に4階)、中央塔は9階で高さは65.45メートル、建物の長さ206メートル、延べ面積は5万3,400平方メートルであり、主な部屋数だけで400を超える。「日本の議事堂はすべて日本の物で」という方針に従い、郵便ポストと錠、一部の機械類を除いてはすべて当時の国産品であり、その造りは技術の粋を凝らしている。総工費は当時のお金で2,573万円余とされる。議事堂はまさに国威をかけて建設された建物なのであり、議事堂は、議会政治の舞台としてこれをずっと見守り続けてきている。
 長々と国会議事堂の話をすることになったが、いかに議事堂にこだわり、議事堂が議会政治やその歴史において重要な意味をもってきたのかを確認したかったからである。
 他方、自治体議会の場合はどうだろうか。議会関係者にとって議事堂がもつ意味はやはり大きいのではないかと思われるが、その一方で、自治体議会の場合には、なかなか国のようにはいかないのが現実である。できれば、議会のために、執行部が入る自治体庁舎とは別の建物(議会棟)が用意されるというのは理想かもしれないが、自治体や議会の規模、財政状況なども関係してくることになる。それでも、都道府県議会の場合には、独自の建物となっているところが多いようである(2)
 自治体庁舎内に議場などの議会の施設を設ける場合には、執行部側との関係も考慮して、せめて配置やフロアーについて工夫をするといったところかもしれない。その際には、住民の傍聴へのアクセスといったことも重要な要素となる。
 もっとも、建物やその構造・配置が、一定の意味をもつことは確かだが、大事なことは、その場を舞台として、どのように活動し、どのような役割を果たしていくかであることはいうまでもない。
 ところで、議会やその会議は、必ず設置された議事堂や議場において行わなければならないのだろうか。
 国会の場合には、国会法5条に、「議員は、召集詔書に指定された期日に、各議院に集会しなければならない」と規定され、召集詔書には召集の場所として「東京に」と指定される例となっている。実際には、国会は常に国会議事堂において開かれてきているが、法令上は、議事堂や議院の活動場所を定める規定は存在しない。実際、帝国議会の時代には、一度だけ東京以外の場所で開かれたことがある。それは、日清戦争で大本営が広島に置かれたときのことで、1894(明治27)年10月に召集された第7回帝国議会の出来事である。その時代の議院法2条には「議員ハ召集ノ勅諭ニ指定シタル期日ニ於テ各議院ノ会堂ニ集会スベシ」と規定されていたが、議会についても天皇のそばで開かれる必要性があったため、「臨時帝国議会ヲ広島ニ召集シ七日ヲ以テ会期ト為ス」との詔書が公布され、広島に移動。そこでの議題は、臨時軍事費予算案などの審議であったが、20日間の突貫工事であった仮議事堂建設と同様に、審議の方も超スピード処理となり、それまでの対決ムードとは裏腹に、予算案などは衆議院と貴族院においてわずかな時間で全会一致により可決し、成立してしまったという(3)
 先に引用した国会法上の「各議院」については、議事堂のそれぞれの場所であることが当然前提とされているとの解釈もあるが、必ずしも限定されているわけではないとの議論もありうるところだ。
 これに対し、自治体議会については、地方自治法には規定がなく、標準会議規則を見ると、それぞれ1条で「議員は、招集日の開議定刻前に議事堂に参集し、その旨を議長に通告しなければならない」との規定を置く例となっている。この規定が置かれている場合には、既設の議事堂で開かれることを前提としていると解することができるようにも思われるが、何をもって議事堂とするのか明らかとはいえず、議事堂の場所が特定されているわけではない。
 会議の場所については、国会・自治体議会ともに、議場が当然の前提とされてきているが、それに関する規定や議場を特定する規定はない。
 何の話をしているのか不思議に思われるかもしれない。議会というものがどこまで既設の建物や特定の場所にこだわり、あるいはとらわれるものであるかを少し考えてみようとしたものだ。もちろん、専用の議事堂や議場があるにもかかわらずそれを使わないのは現実的でもなければ合理的でもないだろう。ただ、どのような場合でも固定の建物や場所でなければならないとまでいえるのかどうか、特に必要があるのであればそれ以外の場所で行うことはできないのかどうかである(4)。例えば、都道府県議会について必要に応じ都道府県庁所在地以外の場所で議会や会議を開会できないのかどうか、インターネット上のバーチャルな空間で議会や会議を開会できないのかどうか、考慮してみる余地はないのだろうか。
 この問題は、議会という概念・制度やその基本的なあり方にも関わってくるものであるが、自治体議会の空間はどこまで広がりうるものなのかということでもある。

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