2021.04.26 政策研究
第13回 地方性(その4)
新渡戸稲造の地方(ぢかた)学
地方学を提唱したのは、旧五千円札の肖像にして、国際連盟事務次長(1920〜1926年)という国際人の印象の強い新渡戸稲造である。「グローバルに考えローカルに動く」という標語はあるが、グローバル(地球的)に行動する人間が、ローカル(地方的)に思考するのは、意外な感もあるところではある。しかし、新渡戸にとっては、必ずしも矛盾するものではなかったようである。
札幌農学校2期生でキリスト教の洗礼を受け、『武士道』(BUSHIDO:The Soul of Japan、1900年)を英語という、およそ、偏狭な「武士道」的な国粋主義者ではあり得ない方法で、武士道(=「日本の魂」)を世界に紹介する人間なのであって、国際結婚もして、まさに、(太平洋に限らない)「懸け橋」型人間である(2)。実際、農政学・農業経済学を志してアメリカのジョンズ・ホプキンス大学に留学するも、アメリカでは政府が直接に農業に関わることがなく、したがって農政(農業政策・農村政策・農民政策)もないがゆえに、結局、アメリカでは日米関係史(3)を研究した(4)。
逆にいえば、自らが学問を究めることはなく、農政学にせよ、植民政策学(京都帝国大学で1903年から担当)にせよ、後学が参照に値するような先行研究として、大した中身を持った研究をしていないという位置付けも可能である(5)。ともあれ、そうした新渡戸が地方学を提唱したのは興味深い。もっとも、地方学においても、地方学を考究して開拓した、地方学の先達という存在ではない。そもそも、新渡戸の後には、地方学という用語は消えていったからである。
また、「懸け橋」とは、悪くいえば鵺(ぬえ)的・風見鶏的であって、双方から疎まれることでもある。新渡戸の晩年、1930年頃から大日本帝国は軍部主導で中国大陸侵略を始めていく。このとき、新渡戸は国内的には、「我が国を滅ぼすのは共産党と軍閥である」と発言し、右翼や軍部の反発を招く。他方で、対外的には、対日感情を和らげるためにアメリカに渡って、日本の立場を訴えるが、「新渡戸は軍部の代弁に来たのか」と理解されなかった。結局、北米大陸の地で失意のまま客死することになった(6)。
地方学の実際性
新渡戸は、もともと農政学を目指していた。農政学は政策実践と不可分の関係にもある。しかし、実際に新渡戸が農政に関与したのは、植民地台湾における製糖事業である。製糖は、農家によるサトウキビ(甘蔗(かんしょ))などの農業生産が前提となる意味では農業であるが、同時に、農産品の加工を行うという意味では工業であるし、砂糖を販売するという意味では商業である。要するに、今日的な言葉では6次産業というものである。そして、製糖事業を展開したのが日本の農村ではなかったので、新渡戸が政策実践と結びつくのは、農政学ではなく、植民政策学であった。そのような経緯を踏まえれば、新渡戸のなかでは、国内農村と植民地とが連続線上にあり、農政学と植民政策学も一体である。日本の「本土」・「本国」の農村は植民地・外地と同視され、つまり、国内植民地に位置付けられていたことになる。
新渡戸は、児玉源太郎・台湾総督と後藤新平・民政局長(のち民政長官)からの招請を受けて、1901年2月に台湾総督府技師として赴任し、5月には民生局殖産課長となる。ただ、1900年に赴任が決定した後に1年間の海外視察を行い、各国・各地の植民政策、特に熱帯農業政策を視察していた。そして、赴任当時の植民地・台湾での振興政策は製糖政策であったが、大機械工場派と小規模糖廊(とうろう)派との対立があった。新渡戸の任務は製糖業振興政策の立案であり、同年9月に新渡戸は『糖業改良意見書』を提出する。新渡戸は、(地方学的に)台湾をよく調査してから意見書を書く旨を上申すると、むしろ、台湾の実情を知りすぎると思い切って書けないので、よく分からないうちに、ジャワなどの外国を見た高所から意見書を出すように求められた。
もっとも、後藤新平自体は、調査を重んじる民政であることは著名である。後藤が台湾の民情の調査なしに政策を進めることはなかった(7)。新渡戸の意見書も、台湾の農業形態や地域の特性を考慮して、大機械工場を採らず、小規模製糖業から始めて、技術的に栽培・製糖法の改良を進めるとともに、政府の積極的な補助政策(補助金など)によって、諸外国の甜菜糖(てんさいとう)に対抗できるようになると主張した。具体的には、製糖奨励法・臨時台湾製糖局官制の発布、技術生の養成、ハワイ・八重山・本土からの種苗の導入と台湾南部での苗代、甘蔗試作場の設置、機械購入・試験、産業組合、甘蔗栽培開墾、水利開発などである。新渡戸は、1903年から臨時台湾糖務局長と京都帝国大学法科大学教授(植民政策)を兼任することになり、翌年には局長を辞任して京大教授専任となる。