2021.03.25 政策研究
第12回 地方性(その3)
戊申詔書
地方改良運動は、政府が直接に発出した文書ではなく、天皇名義の「詔書」をよりどころにしている。政府ではなく他者名義の文書を利用しているところが、(増田氏レポートを契機とする)「地方創生」に似て興味深い。もっとも、戊申詔書は、第2次桂内閣の平田東助内相の起案であり、いうまでもなく、天皇が自ら出したものではなく、天皇の名を借りて為政者が発出したものである。第二の「教育勅語」(1890年)とも呼べるだろう。
その全文は、以下のとおりである。
朕惟フニ方今人文日ニ就リ月ニ將ミ東西相倚リ彼此相済シ以テ其ノ福利ヲ共ニス朕ハ爰ニ益々國交ヲ修メ友義ヲ惇シ列國ト與ニ永ク其ノ慶ニ頼ラムコトヲ期ス顧ミルニ日進ノ大勢ニ伴ヒ文明ノ惠澤ヲ共ニセムトスル固ヨリ内國運ノ發展ニ須ツ戦後日尚浅ク庶政益々更張ヲ要ス宜ク上下心ヲ一ニシ忠實業ニ服シ勤儉産ヲ治メ惟レ信惟レ義醇厚俗ヲ成シ華ヲ去リ實ニ就キ荒怠相誡メ自彊息マサルヘシ
抑々我カ神紳聖ナル祖宗ノ遣訓ト我カ光輝アル國史ノ成跡トハ炳トシテ日星ノ如シ寔ニ克ク恪守シ淬礦ノ誠ヲ諭サハ國運發展ノ本近ク斯ニ在リ朕ハ方今ノ世局ニ處シ我カ忠良ナル臣民ノ協翼ニ倚藉シテ維新ノ皇猷ヲ恢弘シ祖宗ノ威徳ヲ對揚セムコトヲ庶幾フ爾臣民其レ克ク朕カ旨ヲ體セヨ
「戊申詔書」は、表現が難しすぎて(高尚すぎて?)、率直にいって、何を書いているのかよく分からない文書である。大意は、①日本も列強の一員として列国と友好的に相互扶助するべきである、②とはいえ、列国と同様に文明の恩沢を受けるには国運発展が必要であるが、③日露戦後荒廃から日が浅いので、上下一心で仕事・倹約・勤勉に努め、醇風美俗(じゅんぷうびぞく)を保ち、自強に励むべきである、④明治維新の計画完成に向けて忠良なる国民は明治天皇の遺訓を守るべきである、というようなものである。要するに、国運発展のために倹約して明治政府の計画に協力しろ、という趣旨である。そのため、「国運発展詔書」、「倹約詔書」、「皇猷恢弘(こうゆうかいこう)詔書」とも呼ばれる。
現代の平均的日本人よりは、当時の地方圏の人々の方が、はるかに漢籍の素養があったかもしれないが、にわかには分かりにくいものであり、結局、畏(かしこ)くもありがたい文書を解説するため、牧民官が司牧的に上からの「講習」と「教育」を垂れることが必要になるという仕掛けである。もっとも、精神論が中心であって、特に「地方」に向けた施策が具体的にあるわけではないので、論理的には地方改良運動・事業には直結しないようでもある。とはいえ、忠実服業・倹約治産の精神論を教化しやすいのは、「堕落」した都市圏の人々ではなく、「純朴」な地方圏の人々なのかもしれない。「地方性」とは国政為政者にとっては「教導しやすい」という意味であろう。その意味で、文化的知的な非中心性である。
地方性の称揚が生み出す政策的集権指向
国政が国策として地方に関心を持つと、自治体には四つの集権指向としての作用が及ぶことが一般的に推論される。地方改良運動は、まさにこうした現象の典型先例である。
第1は、政策的内容への集権である。自治体(特に地方圏町村)がいかなる政策を行うかが国政にとっての関心事になると、地方制度を所管する内務省にとどまらず、政策に関わる農商務省・文部省等各省も、様々な政策的内容への介入を始める。いわば、地方制度・法制という外的事項にとどまらず、自治体の政策・事業という内的事項への介入である。当時は、「自治制の注釈時代」から「自治制の精神鼓舞時代」への転換と表現された(4)。つまり、本省・参事官会議・地方庁が市制町村制などの条文上の疑義の解釈をするだけではなく、町村の経営、勧業の方策、通俗教育(社会教育)のあり方に、(精神論によって)国が関与することになる。
地方性が生み出す法制的集権指向
第2は、法制的枠組みでの集権である。1911年に市制町村制が全面改正された。その内容は以下のとおりである(5)。①旧法では市町村の固有事務の範囲は明確ではなかったが、改正法では、「法律ノ範囲内」と明記され、市町村が国政の目的に沿って法令によって許された範囲で行動することとなった。固有事務にも集権が及ぶようになったのである。②市町村の執行機関を独任制の市町村長とした。つまり、旧市制においては、市の執行機関は合議制の参事会であったのを、町村と同様に、独任制に変えたのである。③市町村会(=議会)に対する市町村長(=執行機関)の権限を強化した。市町村長が市町村会に匡正(きょうせい)を求める場合を追加した。特別の事由のあるときには再議に付さず、直接に府県参事会の裁決を求めることができるとした。「臨時急施」を要する場合などには市町村長が専決処分をできるようにした。④市町村長の吏員(行政職員)に対する権限を強化した。旧法では、書記その他附属員は、市では市参事会が任用し、町村では町村長の推薦で町村会が選任した。改正法では、一様に市町村長が任用することとなった。⑤旧法では執行機関であった市参事会は、改正法では、副議決機関又は諮問機関に変えられた。⑥旧法では、市町村長に対する機関委任事務は具体的に列挙されていたが(具体的列挙主義)、改正法では、一般的・包括的に義務付けられた(包括主義)。また、市町村長以外の一般吏員も機関委任事務を遂行する義務が課せられた。
要するに、市町村会に対して市町村長を、吏員(行政職員)に対して市町村長を、それぞれ強化するとともに、市町村という自治体の内部では強化された市町村長を、国政の法令・機関委任事務の手足のように位置付けたのである。
政策的内容への指導・助言を進めることができるならば、むしろ、法制的枠組みへの監督・命令は必要なくなるかもしれない。しかし、実際に政策的内容を国政の期待する方向に進ませるには、法制的な集権化がさらに必要になるかもしれない。いわば、内的事項への介入を担保するためには、外的事項への介入が必要となる。もちろん、法制で担保するのではなく、財政措置や情報措置(講習会・ビジョン・行政指導など)で担保することで、代替することもできよう。実際、地方改良運動は、上記のとおり講習会と通俗教育・報徳精神でも進められた。財政措置で進められなかったのは、そもそも、地方改良を必要としたのは、国政も含めた財政危機だったからである。