地方自治と議会の今をつかむ、明日につながる

議員NAVI:議員のためのウェブマガジン

『議員NAVI』とは?

検索

2021.01.29 政策研究

第10回 地方性(その1)

LINEで送る

自治と結合しない地方

  「自治」を修飾する「地方」は、「自治」以外にも使われる。最も基本的には、国土の全域ではなく一定部分の局所区域を指す。例えば、「関東地方」とか「北陸地方」とかの地理的区分である。いわゆる「地方出先機関」、国家行政組織法第9条にいう「地方支分部局」も、その典型である。いうまでもなく、地方支分部局は国の行政組織であって、自治体ではない。「国」と結合する「地方」もある、というべきか、「地方」とは「国」と一体不可分に結合するものなのかもしれない。
  例えば、戦後の1947年制定の警察法による警察制度は、一般には「自治体警察」と呼ばれてきた(旧警察法第3章)。これは、市や人口5,000人以上の町村(「市街的町村」)(両者を合わせて、同法では「市町村」と定義する)に独自の「市町村警察」(同法第3章第3節)を置くという制度である。「市町村」と「特別区」のことが「自治体」と称されていた。逆にいえば、大半の町村(郡部)のエリアには、「自治体警察」は存在しない。
  アメリカのテレビ番組『刑事コロンボ』で「ロス市警」、『インスティンクト』で「ニューヨーク市警(NYPD)」などはおなじみであるが、アメリカはこのような意味で自治体警察である。もっとも、『羊たちの沈黙』などに見られるように、「連邦捜査局(FBI)」などの連邦警察もあるので、自治体警察だけというわけではない。
  戦後警察制度で、非市街的な郡部の警察はどのような組織であったかというと、「国家地方警察」(いわゆる「国警」)と呼ばれる。国レベルに、内閣総理大臣の所轄のもとに国家公安委員会が置かれ、国家公安委員会の指揮監督のもとに国家地方警察本部が置かれる。国家地方警察本部は、ブロック(地方)単位の警察管区本部を指揮監督し、同本部は各都道府県に置かれた都道府県国家地方警察本部の行政管理を行う。ただし、都道府県知事の所轄のもとにある都道府県公安委員会が、都道府県国家地方警察本部の運営管理を行う。都道府県国家地方警察本部は、地方公共団体である都道府県の組織ではあるが、その事務は国の機関委任事務でもあり、国家公務員である地方警務官が勤務していたのであって、国の機関でもあった。

国(国家)と結合する地方

  このように沿革を見てくると、地方とは、自治というよりは、国又は国家と結合した概念であることが分かる。明治国家は、1871年に廃藩置県を行い、大名諸侯が領主として割拠する中世・近世的体制を改め、中央集権化(=中国・秦帝国的な郡県制)を目指した。もちろん、江戸体制でも、建前上、大名諸侯に対して、公儀が「領知」を「安堵(あんど)」する、すなわち、一定の区域への支配権力を承認するものであって、「鉢植え」のように、その土地に根を張らせないように、任免して広域異動(「転封」「国替」)する構想ではあった。とはいえ、現実には、必ずしも実現できたわけではないので、廃藩置県による集権化は画期的である。そして、1871年の府県官制によって、府知事・県令が国から派遣された。そのとき、県令が赴任現地で在地権力を培養しないように、県外人県令が原則とされた。
  こうした中央派遣の国の代官を「地方官」と呼ぶ。例えば、「地方官会議」はその典型例である(1)。地方官会議の前身は1873年4~5月にかけて開かれた「地方官会同」である。1874年5月に議院憲法が定められた。議院憲法では人民に代わって地方官により構成される議会設置までの代替機関という位置付けがなされ、毎年開催とされた。1875年1~2月に大久保利通・木戸孝允・板垣退助の間で開かれた大阪会議で立憲制の導入が合意されると、同年4月の漸次立憲政体樹立の詔で立憲政体導入の道程として元老院・大審院の創設とともにその開催が言及された。1875年6月に第1回地方官会議(木戸孝允議長)が開かれ、第2回(伊藤博文議長)は1878年4月に、第3回(河野敏鎌議長)は1880年2月に開催された。第2回では地方三新法案、第3回では区町村会法案や備荒儲蓄法案の審議を行った。
  「地方官会議」は、本社・本店で開催される全国支店長会議のようなものである。全国の各地方(府県)の情報を中央政府が把握するのは、端的にいえば、国会(帝国議会・衆議院)の仕事ともいえるが、この段階では帝国議会が存在しなかったからである。もっとも、国の代官を集めて会議を開いても、各地の民意を代表する全国議会には到底なりえないのであるが、上記のとおり、立憲政体導入(帝国議会開設)に向けて、その代償機能が期待されていたとはいえる。ともあれ、地方官会議は、自治体の集まりではなく、あくまで国政への各地の情勢を伝達する回路なので、国と結合したものである。民情を代弁する自治的な機関は、あくまで、1878年制定の府県会規則による府県会という、府県ごとの議会である。なお、区町村に関しては、1880年制定の区町村会法による。

地方官官制

  こうして、明治憲法制定(1889年)=立憲政体導入・帝国議会開設に先立って、内閣官制(1885年)と地方官官制(1886年=明治19年、勅令54号)が定められた。それによれば、「地方官」に特段の定義はないが、「府県」、「警察官」、「郡区」、「島地」が列挙されていた(実質的には「章」に分かれているが、勅令文言上は「条」の上レベルに「章」は明示されていない)。府県に知事、書記官、収税長、属、典獄、看守長などの職員を置くとされる(1条)。知事は、内務大臣の指揮監督に属し、各省の主務については各省大臣の指揮監督を承り、法律命令を執行し、部内の行政事務・警察事務を総理するとされる(2条)。府県庁の事務を分掌するために、書記官を部長とする第一部と第二部を置き、便宜、部の中に課を置く(24条)。
  いわゆる官選知事は、国の内務官僚が、内務省の人事権のもとで、各府県に人事異動する仕組みであり、地方出先機関の性質を如実に表している。府県知事は、内務省に限定されず幅広い行政分野を担当する意味で、内務省の地方出先機関ではあるものの、広く行政分野を担当する「普通地方行政官庁」と呼ばれていた。これに対して、大蔵省など各省の地方出先機関は「特別地方行政官庁」として、対置されていた。いずれも、国の出先機関は地方行政官庁なのである。

この記事の著者

編集 者

今日は何の日?

2025年 616

新潟地震(震度6)起こる(昭和39年)

式辞あいさつに役立つ 出来事カレンダーはログイン後

議員NAVIお申込み

コンデス案内ページ

Q&Aでわかる 公職選挙法との付き合い方 好評発売中!

〔第3次改訂版〕地方選挙実践マニュアル 好評発売中!

自治体議員活動総覧

全国地方自治体リンク47

ページTOPへ戻る