2020.12.25 政策研究
第9回 補完性(その4)
社会回勅というセクター論
1931年に社会回勅を出した文脈は、1929年の大恐慌に伴う社会経済政治の大混乱である。一方では、1917年のロシア革命を受け、さらにその後の対ソ連干渉戦争の失敗を受けて、共産主義国家が現実のものとして登場してきた。他方で、イタリアでファシスト政権が成立し、ドイツではナチス党が伸張する状況であった。端的にいって、大恐慌によって、資本主義市場経済が苦境になっていたので、そのままでは社会秩序は回復しない。と同時に、当時のカトリック教会幹部は反共主義のスタンスをとっていた(1)。
社会回勅は、反資本主義・反共産主義的な色彩を結果として帯びるのであって、実際にも、この当時のローマカトリック教会は、親ファシズム・ナチズム的なスタンスだったといえた。もちろん、戦後ヨーロッパの福祉国家あるいは社会国家も、市場原理主義的な資本主義を否定するとともに、共産主義的な計画経済・統制経済も否定するのであって、混合経済とか修正資本主義でもあったので、補完性の原理を含む社会回勅が、すなわち親ファシズム・ナチズムとはいえないのであるが、微妙な立ち位置であることは否めない。日本語の「革新」も、戦前期においては、反資本主義・反共産主義的な国家総動員体制・統制経済体制を意味しており、戦後期においては、反資本主義・反ソ連型共産主義という意味で、保守派に対抗する意味での「左派」を意味していたこととも、似ているともいえよう。
ともあれ、補完性の原理の出所が、国・自治体の関係というよりは、自由競争的・独占的資本主義、統制・計画経済的共産主義などとの対抗を念頭に置き、個人や共同体や小さい人間集団を念頭に置いて、独占資本主義や共産主義とは異なる社会秩序を目指していたというようである。独占資本や独裁国家に対して、個人や小さな人間集団の尊厳を守ろうとするわけである。そして、短期的には、反資本主義・反共産主義の観点から、ナチズムに寛容だったようにも見えるが、少なくとも、個人や共同体や小さい人間集団を重視する以上、より大きな、より上位の人間集団であるアーリア人種中心の民族主義帝国主義国家に総統独裁的に強制動員するナチズムとの決別は、ある意味で不可避である。また、それゆえに、市場(資本)と国家以外のセクターを重視する社会秩序像として、戦後にも否定されることなく、生き残ることはできたのであろう。そして、自治体を市場でも国家でもないセクターとして位置付けることも、あながち不可能ではないから、社会回勅に地方自治保障としての補完性の原理を読み込むこともできる(2)。
社会秩序像における大小・上下関係
補完性の原理は、諸個人から出発して、共同体や、より小さい、又は、より下位の人間集団があり、より大きい、又は、より上位の人間集団まで至る、大小包含(入れ子)構造かつ階層秩序構造が、イメージされている。確かに、個人と基礎的自治体、広域自治体、国、超国家機構という政府間関係は、大小入れ子構造の階層秩序で見ることが容易なので、補完性の原理を適用しやすい(3)。むしろ、国・自治体以外の人間集団の方が、このような大小・階層構造を想定しにくい。
個人と比較すれば、2人以上で構成される人間集団は、確かに大小関係にあるといえる。しかし、2人以上で構成される人間集団の場合、どちらが大きく上であるのか、などは全く分からない。例えば、家族・親族と村落共同体は、しばしば、ムラの中にイエがあるという意味では、イエよりムラの方が大きく上であるかのようである。しかし、家族・親族は、村落共同体を横断して広域的な結合を持っていることもある。そのときに、「血は水よりも濃い」のか、「遠くの親戚より近くの他人」なのかは、なんともいえない。超巨大な独占資本に比べれば、親方・弟子の工房や家族経営企業や協同組合の方が、小さいようには見えるが、別に、巨大な独占資本の下位に従属(subordinate)しているとは限らない。もっといえば、一見すると小さくて下で従属しているかのような組織・団体こそ、下でもなければ従属もしていると見るべきではないし、仮に、従属させるような力学が働いているとすれば、それにあらがう社会秩序を志向しているともいえる。
補完性の原理は、より小さい、より下位の人間集団から、より大きい、より上位の人間集団が、奪わず、壊さず、吸い上げず、むしろ、支えることを意味するということであるから、そもそも、大小関係が上下関係にならないようにすることを目指していた、といえる。その中で、個人と国家の間の各種の組織・団体の大小関係はまちまちであるから、中間的にはいろいろなことがいえてしまう。そこで、補完性の原理は、結局のところ、最大集団であり至高の存在である主権国家という人間集団が、諸個人や他の人間集団から、奪わず、支える、ことに帰着する。その意味で、補完性の原理は、国と自治体の関係にも適用されるわけである。つまり、仮に、基礎的自治体、広域自治体、国が、人間集団として大小入れ子関係にあったとしても、それは上下関係を意味しないということである。したがって、政府間関係において、国や国家の主権を制約するということのみが、重要になる。