2020.12.25 政策研究
第9回 補完性(その4)
東京大学大学院法学政治学研究科/公共政策大学院教授 金井利之
ピオ11世社会回勅
補完性の原理は、必ずしも地方自治保障の用語ではなく、もともとは、カトリックの考え方であったという。すなわち、1931年にローマ教皇ピオ(ピウス)11世が発した社会回勅「社会秩序の再建」の中に、言及があるとされている。その79項によれば、
「歴史が豊かに示すように、諸条件が変化したために、かつては小規模な人間集団(small associations)によってなされてきた多くの事柄が、大きな人間集団(large associations)を除いては、今日には、なすことができなくなっているのは、本当のことである。とはいえ依然として、以下の最も重い原理(most weighty principle)は、脇に追いやられたり変化させられたりすることはできず、依然として、社会哲学において確固として揺るぎない。すなわち、諸個人が自らの発意と尽力によって、なしとげられ得ることを、諸個人(individuals)から奪い取って共同体(community)に与えることが誠に間違ったことであるのと同様に、より小さな(lesser)、より下位(subordinate)の組織(organizations)がなし得ることを、より大きな(greater)、より上位(higher)の人間集団(associations)に割り当てることは、不正であると同時に、重大な害悪であり、正しい秩序の攪乱(かくらん)である。全ての社会的活動は、まさにその本質からして、身体社会(body social)の構成員(members)に対して援助(help)を供給するべきであり、構成員を破壊(destroy)したり吸収(absorb)したりすることがあってはならない」
とある。
もっとも、この文章を見る限り、国と自治体の関係、あるいは、超国家機構・国際組織と主権国家の関係、などが主たる対象となっているようには見えない。政府間関係というよりは、広く一般的に、諸個人と共同体・人間集団・組織、あるいは、団体(身体社会)と構成員との関係を念頭に置いているようである。その意味では、果たして、自治・分権の原理になるのかは、疑問もあり得よう。