2020.10.26 政策研究
第7回 補完性(その2)
呉越同舟の役割分担論
「われわれ国民」が、首相の「指導性」と「トップダウン」と「地位」とを「重く受け止め」て、為政を執る権力もないにもかかわらず、また、実態として為政を動かす権利も乏しいまま、あたかも自らが権力者・為政者と責任だけ一体化するのは、国家総動員論・一億総懺悔(ざんげ)論と同じ構造である。その場合には、内閣・首相への権力集中が進行する。このような構造の中で国の役割限定が進んでも、それは、必ずしも分権・自治を意味しない。実は、行政改革会議「最終報告」は、自らの主張する「われわれ国民」が統治者目線と同一化し、いわば、内閣への民主集中制となることは、日本国憲法の想定する権力分立制とは鋭く対立することを自覚していた。「内閣機能強化に当たっての留意事項」として、以下のように論じている(下線筆者)。
「内閣機能の強化は、日本国憲法のよって立つ権力分立ないし抑制・均衡のシステムに対する適正な配慮を伴わなければならない。
まず、国と地方公共団体との間では、公共性の空間が中央の官の独占物ではないという理念に立ち返り、統治権力の適正な配分を図るべく、地方分権を徹底する必要がある。
次に、国のレベルでは、国会と政府との関係において、国会のチェック機能の一層の充実が求められ、国会の改革が期待されるところである。
さらに、司法との関係では、『法の支配』の拡充発展を図るための積極的措置を講ずる必要がある。そしてこの『法の支配』こそ、わが国が、規制緩和を推進し、行政の不透明な事前規制を廃して事後監視・救済型社会への転換を図り、国際社会の信頼を得て繁栄を追求していく上でも、欠かすことのできない基盤をなすものである。政府においても、司法の人的及び制度的基盤の整備に向けての本格的検討を早急に開始する必要がある。
なお、司法改革の端緒とする意味も込めて、独立行政委員会等が果たしてきた行政審判機能(準司法手続)の統合(行政審判庁構想)等についても、真剣な検討が必要である。
また、適正な抑制・均衡の観点は、中央省庁の大括り再編成についても生かされなければならない。省間の力のバランスを確保するとともに、省間の政策論議についても、新たな省間の調整システムの確立など、透明なプロセスの確保が必要である。また、行政委員会の存在意義についても、このような観点から再評価がなされるべきであろう。
もとより、内閣機能の強化は、政府の諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにし、国民による行政の監視・参加の充実に資することを目的とする情報公開法制の確立と不可分の関係にあることが留意されるべきである。」
つまり、内閣=行政府の機能強化は、権力間の権力分立ないし抑制・均衡のシステムを破壊しかねない。そこで、自治体、国会、司法、準司法、省間バランス、情報公開(国民)との抑制・均衡が言及されてはいる。しかし、省間がバランスを保てば、各省間調整は進まず、内閣による裁定もできないのであるから、内閣機能強化は膠着(こうちゃく)する。国民と政府(内閣)とのバランスといっても、「われわれ国民」は為政者目線と同一化しているのであるから、為政者目線に立って、情報公開を求める一部(「非」)国民を抑圧し、情報隠蔽・改ざんを容認するようになることが、「最終報告」の論理である。
そして、自治体が分権・自治を発揮すれば、内閣=政府の機能強化を妨げかねない。それゆえ、世紀転換期に地方分権推進の基本方針となった国の役割限定論は、中央省庁等改革(橋本行革)においては、必ずしも、国・自治体間での権力分立ないし抑制・均衡に貢献してはならないのである。むしろ、内閣機能に奉仕する国の役割限定論と分権改革にならなければ、同時代的には整合しないのである。こうして、地方分権推進のためのはずだった国の役割限定論は、橋本内閣による行政改革=内閣機能強化に、換骨奪胎されたのである。自治体の21世紀の苦悩が始まったのは、このときからなのである。