2020.09.25 議会改革
第12回 条例づくり10箇条
9 明瞭で分かりやすい条文を目指す
条例が地域社会のルールや規範として機能するものである以上、その内容は、社会一般の人々に理解できるものとなるよう、明晰(めいせき)・平易なものでなければならず、法文として正確かつ明瞭で分かりやすく表現されなければならない。とりわけ、刑罰については罪刑法定主義の要請から、また、表現の自由にかかわる規制については萎縮効果のおそれゆえに、明確であることが強く求められることになる(明確性の原則)。
条例で一定の行為を規制し、違反行為を処罰の対象として不利益を科す(・課す)ことは、行為規範ともなるのであり、何が規制の対象となるかが漠然となったり不明確となったりすれば、人々に対する告知機能(予測可能性)を欠き、公権力の側の恣意的な運用や過剰規制をもたらしかねない。法文では一定の抽象的・包括的文言の使用が不可避であるとはいえ、これまで訴訟などで問題となった条例などを見ると、立法技術上の問題を指摘せざるをえないことも少なくない。
立法の現場では、実効的な規制や使い勝手を模索するあまり、ややもすると規制側の論理に傾き、予測可能性や権力濫用のおそれに対する認識が希薄となりがちであるが、立法に関する原則としての明確性の原則の意味が、適用される側の視点から再確認されなければならない。
また、条例については、分かりやすさや親しみやすさを重視するあまり、厳密さを欠いた用語や情緒的なものが条文に持ち込まれるような状況が散見される。国の法律でもそのようなことが見受けられないわけではないが、特に、自治体の条例では、親しみやすさを追求したり、その制定にかかわった人の思い、希望、理想、感慨などを盛り込もうとする状況が見受けられ、それについては、条例の情緒化とか、ポエム化などと呼ばれるようになっている。条文に現れた曖昧さや感情などがどのような影響をもたらすのか、もう少し慎重な考慮が求められ、また、「法」については、親しみやすさとか、感情的・情緒的なものとは相いれない面があることを理解する必要がある。
【判例から学ぶ】
○徳島市公安条例事件
条例が国の法令に違反するかどうかは両者の対象事項と規定文言を対比するのみでなくそれぞれの趣旨・目的・内容・効果を比較し両者の間に矛盾抵触があるかどうかにより決するとの判断枠組みを示したことで著名な徳島市公安条例事件・最大判昭和50年9月10日刑集29巻8号489頁は、本条例の「交通秩序を維持すること」という規定は、その文言だけからすれば単に抽象的に交通秩序を維持すべきことを命じているだけで、いかなる作為、不作為を命じているのかその義務内容が具体的に明らかにされておらず、全国の公安条例の多くはその条件の中で遵守すべき義務内容を具体的に特定する方法がとられており、また、条例自体の中で遵守義務を定めている場合でも交通秩序を侵害するおそれのある行為の典型的なものをできる限り列挙例示することによって義務内容の明確化を図ることが十分可能であるにもかかわらず何ら考慮を払っていないことは、立法措置として著しく妥当を欠くと指摘。その一方で、①刑罰法規の定める犯罪構成要件が曖昧不明確のゆえに憲法31条に違反し無効であるとされるのは、その規定が通常の判断能力を有する一般人に対して、禁止される行為とそうでない行為とを識別するための基準を示すところがなく、そのため、その適用を受ける国民に対して刑罰の対象となる行為をあらかじめ告知する機能を果たさず、また、その運用がこれを適用する国又は地方自治体の機関の主観的判断に委ねられて恣意に流れる等、重大な弊害を生ずるからである、②ある刑罰法規が曖昧不明確のゆえに憲法31条に違反するかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読み取れるかどうかによって決定すべきとした上で、本条例の規定は、確かにその文言が抽象的であるとのそしりを免れないとはいえ、集団行進等における道路交通の秩序遵守についての基準を読み取ることが可能であり、犯罪構成要件の内容をなすものとして明確性を欠き憲法31条に違反するとはいえない、とした。
○広島市暴走族追放条例事件
広島市暴走族追放条例において、何人に対しても「公共の場所」において許可を得ないで「公衆に不安又は恐怖を覚えさせるような」集会を行うことを禁じ、それが特異な服装で行われていた場合等には罰則を伴う命令を出すことができると定めていることの合憲性が争われた事案において、最判平成19年9月18日刑集61巻6号601頁は、本条例は、暴走族の定義において社会通念上の暴走族以外の集団が含まれる文言となっていること、禁止行為の対象及び市長の中止・退去命令の対象も社会通念上の暴走族以外の者の行為にも及ぶ文言となっていることなど、規定の仕方が適切ではなく、本条例がその文言どおりに適用されることになると、規制の対象が広範囲に及び、憲法21条1項及び31条との関係で問題があると指摘しつつ、条例の全体から読み取ることができる趣旨、さらには本条例施行規則の規定等を総合すれば、本条例が規制の対象としている「暴走族」は、暴走行為を目的として結成された集団である本来的な意味における暴走族のほかには、服装、旗、言動などにおいてこのような暴走族に類似し社会通念上これと同視できる集団に限られるものと解釈。このように限定的に解釈すれば、本条例による規制は、広島市内の公共の場所における暴走族による集会等が公衆の平穏を害してきたこと、規制に係る集会であってもこれを行うことを直ちに犯罪として処罰するのではなく、市長による中止命令等の対象とするにとどめ、この命令に違反した場合に初めて処罰すべきものとする事後的かつ段階的規制によっていること等に鑑みると、その弊害を防止しようとする規制目的の正当性、弊害防止手段としての合理性、この規制により得られる利益と失われる利益との均衡の観点に照らし、憲法21条1項、31条に違反するとまではいえない、とした。