2020.07.27 政策研究
第4回 近接性(その3)
近接性と分権性
すでに述べたように、政治的な距離の近さとは、為政者と個々人の好みが近いことである。したがって、自治体が国よりも、市区町村が都道府県よりも、アプリオリ(先験的)に近接性が高いとはいえない。自治体首長は為政者として大きな権力を持つから、民衆の意思を従わせて、結果的に近接性をつくることはできるが、国政為政者も、さらに大きな権力を持つから、民衆の意思を支配して、結果的な近接性をつくることはある。また、同調圧力は、ムラ社会のような地域社会でも作用するが、一国のような巨大社会でも作用する。そもそも、見ず知らずの人間同士を共同体とみなす国民国家とか国民や民族という概念は、国政の統治権力の作用に支えられ、あるいは、統治権力を支えるように、それ自体で同調圧力を持っている。
要するに、統治権力とは、為政者に民衆が接近することを目指すことも多く、民衆は相互に同調圧力を持つのであって、近接性は自治体独自の作用ではない。そして、近接性は、自由という観点からは、必ずしも歓迎すべきものとは限らない。近接性が、民衆に為政者を近づけるベクトルなのか、為政者に民衆を近づけるベクトルなのか、によって大きく意味が違うからである。
良い意味での近接性を確保しつつ、悪い意味での近接性を減らし、ときには近接性を否定することが必要である。このためには、為政者という権力を分散させるしかない。これが地方自治や地方分権の意義である。国政が巨大な権力を掌握し、国政為政者に国民を近接させ、国民が国政為政者からの近接性を否定することを許さないとき、それは、一強支配体制である。それは、表面的には近接性の高い「民主」的な支配に見えるが、しかし、民衆の意思に国政為政者が従うことではないし、国政為政者の意思から遠隔性を確保する自由も乏しい。
そこで、国政には近接性を持たない民衆に対して、自治体が近接性を提供することが、結果的に、国政からの遠隔性と自由を保障する余地を与える。いわば、毒をもって毒を制するのである。自治体が近接性を持つということの意味は、暗黙裏に、国政との遠隔性が重要であるということである。自治体が国政為政者に接近し、国政の意図を忖度して、国政との近接性を重視するならば、そのような国=自治体巨大権力連合のもとでは、住民が自治体に近接性を持つことは、住民は自治体を通じて国政に引きつけられる近接性を持ち、さらに抑圧的な体制になるからである。自治体の特徴として近接性が挙げられるが、それが望ましい近接性といえるためには、国政への自治体の遠隔性が前提条件なのである。しかし、自治体があまりに国政からの遠隔性を持つときには、自治体為政者による住民に対する支配が強化されてしまう。国政への自治体の遠隔性は、一定の引力圏の範囲内にとどまることもまた、前提条件なのである。【つづく】
(1) ヤン・エルスター『酸っぱい葡萄─合理性の転覆について─』(勁草書房、2018年)。成田和信「適応的選好形成と功利主義」慶應義塾大学日吉紀要 人文科学18号(2003年)87〜107頁。