地方自治と議会の今をつかむ、明日につながる

議員NAVI:議員のためのウェブマガジン

『議員NAVI』とは?

検索

2020.07.27 議会改革

第10回 条例をどう使いこなしていくか

LINEで送る

【コラム:訓示条例】
 
自治体では、条例の制定の活発化に伴い、「訓示条例」とでも呼ぶべきような条例の制定が目立つようになっている。
 自治体関係者の間では、強制力や実効性確保措置を欠く条例を「理念条例」と呼ぶことが多いようだが、その名からすれば、それは一定の分野や事柄に関する基本的な理念や将来的な指針などを定めているものに限られるべきだろう。訓示条例は、理念よりも、強制力を伴わない形で人々の生活や行動にかかわる規範を定めるものであり、各地の自治体で、社会生活上のルールやマナーにかかわるものが相次いで制定されるようになっている。条例で定めることによるアナウンス効果や教育効果を期待したものだが、西洋とは異なり、日本では、法(明確なルール)によるよりも、他人との関係や世間の目を気にすることで律せられてきた伝統があり、条例で行為規範を定めながら啓発・促進にとどめるというのは、意識しているかどうかは別として、そのことが前提とされているもののようにも見える。
 その多くは、「努めるものとする」、「努めなければならない」といった努力義務、あるいは「ものとする」といった原則的規定の形式をとっており、「しなければならない」、「してはならない」といった義務や禁止の形をとる場合も含め、それに反した場合の措置は伴わないものとなっている。
 そもそも、近年は、国民や住民の主体性や自己責任が強調されるようになっていることなどを背景に、一定の施策や取組みを行っていく場合に、国民や住民の意識改革、理解、協力、取組みなどが必要であるとして、国民や住民の責務・役割などの規定が法律・条例にやたらと置かれる傾向が見受けられる。そして、それらも、同じような表現・形式による訓示規定とされてはいるが、中には道徳や個人の判断に委ねるべき問題にまで踏み込むようなものも散見される。訓示条例は、そのような流れの中で広がってきているものといえるのかもしれない。
 訓示条例は、議員提案(議員立法)によるものが多いのもその特徴とされる。
 とりわけ、各地で制定され、議論を呼んだものということでは、乾杯条例を挙げることができるだろう。
 乾杯条例は、京都市が2012年に制定した「清酒の普及の促進に関する条例」がきっかけとなり、各地で同種の条例が制定されているもので、日本酒だけでなく、焼酎、ワイン、お茶、清涼飲料水のほか、牛乳を対象とするもの、さらには梅干しでおにぎり条例、りんごまるかじり条例、トマトで健康づくり条例といったものなども見られる。おおむね、伝統産品である地酒等による乾杯の習慣を広めたり、地元の特産品の消費を促したりすることを通して、伝統文化や特産品への理解の促進・地場産業の振興などに寄与することを目的とするもので、住民は、その自治体及び事業者が行う地酒等や特産品の消費拡大、地酒等による乾杯の普及などの取組みに協力するよう努めるものとされている(中には地酒等を乾杯に用いるよう努めると規定するものもある)。
 住民の努力義務とはいっても、啓発的・希望的なもので協力を求めるにとどまり実害はないということかもしれない。しかし、法の形式である条例によって定めるものとしてふさわしいものなのかどうか疑問があるだけでなく、個人の価値観や嗜好(しこう)にどこまでかかわることが許されるのかといった問題もある。乾杯条例の中には、批判を意識して、地産地消をうたったり、個人の嗜好や意思への配慮や、アルコールによる健康障害・飲酒運転・暴力等の防止について規定したりするものなどもあるが、それで問題が解消されるわけではなく、むしろそこまでして住民の努力義務を規定することの意味が問われるべきだろう。
 最近は、読書、家庭等や自動車内での子どもの受動喫煙の防止、マスク着用、歩きスマホの禁止、ネットゲームの時間制限などに関する訓示条例が話題を呼んだ。
 しかしながら、たとえ一般論としては望ましくても、条例で行為規範として定めるのが妥当かどうかは別である。訓示条例については、強制力がないがゆえに、安易に制定されやすく、条例制定にかかわる者の価値観や思惑などが働き、私的生活や個人的領域に過度に介入することにもつながりかねない。何でも法に持ち込むのではなく、他の社会的規範に委ねることが妥当な場合も少なくないはずであり、条例にむやみに道徳的なものを持ち込むことで、法と道徳の境界が相対化するだけでなく、社会や個人の自律を弱め、窮屈な社会をもたらしかねない。住民運動などにつなげることで社会的な同調圧力が生じ、少数者の抑圧や排除につながる懸念もないわけではない。
 また、法的な効果が生じないがゆえに、法的な検討がおろそかになりがちとなるだけでなく、裁判所の法的なチェックや統制も及ばないことになる。そして、条例でやたらと精神論や道徳論を振りかざすことになれば、条例に対する人々の見方や意識にも影響を与えかねない。
 訓示条例が意味をもち機能することもあることを否定するものではないが、法やルールのあり方としては十全(健全)でないところもあることは否めず、条例の制定にかかわる者には、問題意識をもち謙抑的な姿勢で臨んでいくことが求められているのではないだろうか。

(1) その場合には、基礎自治体と広域自治体、条例・規則の制定の状況などによりその体系や規模・内容は異なることになるが、それぞれの自治体法が個性的なものとなるためには、国法が自治体の法的対応に配慮したものとなっていることが必要である。
(2) ただし、それは、実際には理念的・観念的なものにとどまっている面があり、いかに現実化・具体化していくかが課題となっているといえる。なお、効力関係については、憲法─法律(政省令)─条例─規則─委員会規則といった段階構造となることに注意が必要であるが、その場合でも、政省令は法律と一体のものである限りにおいて条例に優越するものと考えるべきである。
(3) 行政法学上は、「法律による行政」の原理と呼ばれるが、本稿では、自治体に焦点を当て、法律による行政と条例による行政を合わせたものとして、便宜、「法による行政」と呼んでいる。
(4) その場合に、法律や条例の規定については、組織規範(行政組織やその任務に関する定めを内容とするもの)、作用規範(行政活動の実施の要件・効果を規定するもので、根拠規範とも呼ばれる)、規制規範(当該行政活動が法的に可能であることを前提に、その手続・方法などを規定したもの)があるとされ、伝統的に法律の留保として問題とされてきたのは、それらのうちの作用規範である。
(5) 自治体の中には、横須賀市などのように、そのような考え方に立つことを打ち出しているところも見られる。もっとも、重要事項留保については、執行機関の側よりも、議会の側がそのことを十分に認識しているかどうかということが大事になるといえる。
(6)自治体において、法律との関係で、重要事項留保がどのような意味をもつことになるかは微妙であり、むしろ、分権の観点からはその規律密度を下げることが求められることになる。
(7) 例えば、条例については、現実には、裁判所によって解釈・適用されることはあまり多くはない。
(8) 条例では「権利」が積極的にうたわれることも少なくないが、たとえ住民がある権利を有すると規定しても、それだけで法的な効果が発生するわけではなく、その制度的な担保を用意するか、裁判所により権利として認められる必要がある(実際には条例で独自に権利と規定したものについてその権利性が裁判所で認められたものはあまりない)。条例で権利として規定する以上は、それをどのように実体を伴うものとしていくかまで検討するのでなければ、立法のあり方としては無責任とのそしりを受けることになりかねない。

 

バナー画像:尾瀬©ridge-SR(クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示4.0国際))を改変して使用

この記事の著者

編集 者

今日は何の日?

2025年 616

新潟地震(震度6)起こる(昭和39年)

式辞あいさつに役立つ 出来事カレンダーはログイン後

議員NAVIお申込み

コンデス案内ページ

Q&Aでわかる 公職選挙法との付き合い方 好評発売中!

〔第3次改訂版〕地方選挙実践マニュアル 好評発売中!

自治体議員活動総覧

全国地方自治体リンク47

ページTOPへ戻る