2020.07.27 議会改革
第10回 条例をどう使いこなしていくか
6 条例を制定することの意味を考える
条例の制定は、立法権という権力の行使である。権力を行使する者にはその自覚と責任が求められるが、自治体議会ではそのような意識が希薄となりがちである。法を定めているということについても、同様である。
この点、条例が政策の推進や問題対応の手段となっていることからは、あまりうるさくいう必要はないのかもしれない。また、法ということを強調しすぎることで、自治体での積極的な条例制定の動きに水を差すことを危惧する向きもある。
もちろん、ここのところ各地で目立つようになっている、抽象的な理念や指針・責務・政策プログラム・体制だけを定める類いの条例も認められないわけではなく、事柄や場合によっては意味をもつこともある。そのような条例が、自治体の基本的な方向を示すことで、行政を枠付け、あるいは住民の意識改革や行動変容につながることもありうるのであり、重要な行政分野や政策課題について基本条例を制定し、基本的な考え方を明確にして方向付けを行うとともに、自治体法や政策の総合化・体系化を進めることなども一考に値する。
しかしながら、条例の道具化が進むに伴い、あまりに内容の薄い条例、抽象的で実効性を欠く条例などが増えており、条例を制定すること自体が目的化・イベント化されたり、アピールやエクスキューズの手段とされたりすることも少なくない。情緒的な言葉が躍るポエム条例、道徳や個人的領域に過度に介入するお節介条例なども散見される。
その内容があまりに抽象的・理想的にすぎ、それを実現するためのものが何も伴わない場合には、規範としてほとんど意味をもたないものとなってしまうだけでなく、人々のとまどいや不信を招くことにもなりかねない。抽象的で行政を十分に枠付けることのできない定めは、むしろ行政に広範な裁量や免罪符を与え(執行機関への丸投げ)、条例による民主的なコントロールを形骸化し、条例による行政を空洞化させるおそれもある。
その点では、やはり、条例が法形式の一つであることが忘れられてはならず、また、条例だけが問題の対応・政策推進の手段ではないことが改めて認識される必要がある。たとえ政策や理念を定めるものであっても、基本的に住民や執行機関などに対する一定の指示性や拘束性をもち、あるいは少なくともその行動等の目標・準則たりうるものでなければならず、その内容が実効性や受容可能性をもちうることが必要である。
条例を過大視したり、極度に道具化したりすることは慎むとともに、条例が独善的なものとなるようなことは避けるべきである。条例は金のかからない宣伝手段ではない。条例がこれまで述べてきたような重要な位置付け・役割を与えられるのは、「民主主義」と「法」といった両方の要素を備えているからであることが見過ごされてはならない。
条例づくりに当たり、それが規範としてどういう意味をもちうるのか、どのような効果をもちうるのかということが常に念頭に置かれなければならないのは、基本的な作法といえる。単なる美辞麗句を並べただけでは人々を感動させないのと同じように、条例にいくら空虚な文言を盛り込んでも、何ももたらさないことになり、かえってその信頼性を損なうことにつながりかねない。たとえ条例で権利や義務としてうたったとしても、それを具体的に保障し実効性あらしめる仕組みがなければ、絵に描いた餅にすぎず、逆に無責任なものとなってしまいかねないのである(8)。あまりに意味の薄い条例や希望を表明するだけの条例、ユニークさやポエムに走る条例などが横行することになれば、条例の権威が失われるだけでなく、やがて人々からまともなものと受け取られなくなってしまうおそれもないわけではない。
条例を住民本位のものとするためには分かりやすく親しみやすいものとすることが必要との議論も見られるが、それに目を奪われすぎれば、結局は、条例の法としての位置付けや意義を掘り崩すことにもつながりかねない。
独創性・先進性に重きを置いたアピール条例を制定し、一時的に注目を集めるなどして盛り上がっても、長続きせず、やがてその存在自体が忘れ去られてしまうような条例が散見されるが、思いつきや目新しさだけではなく、地域の実情に適合し、地域の今後を見通した、地に足のついた条例づくりを追求していくことが大事である。条例の制定それ自体が目的となるものではなく、条例は一定の目的・政策を実現するために制定されるのであって、その目的がそれなりに達成されて初めて意味あるものとなる。そのためには、つくりっぱなしではなく、制定後も、それに関してフォローアップのための評価が適宜行われるとともに、その結果をフィードバックさせ、より効果を発揮させるため、あるいは状況の変化に合わせて、その見直しを図っていくこと(条例を育てる発想)なども求められているといえる。
自治体においては、条例を駆使しながら自治や行政を積極的に展開していくことが求められているとはいえ、自治や行政の基本的事項・重要事項はできるだけ条例で定めるべきことと、むやみやたらに何でも条例で定めることとは決してイコールではない。条例の濫用・氾濫は、むしろ自立した市民社会や自由で公正な社会とは相いれないものと見るべきであり、その権能をうまく使いこなしていないことの表れでもある。
賢明さを欠く立法者がむやみやたらと立法に走ることほど人々にとって厄介なものはないともいう。条例の制定にかかわる者には、その使命・責任の自覚と理性的・自制的な対応が強く求められている。