2020.05.25 議会改革
第8回 議会審議のあり方─どのようにして決めるか─
5 会議の公開の意義と射程
会議の公開は、審議過程の透明性を確保し、議会の活動を住民の監視のもとに置くとともに、住民の意思を議会の審議に反映させる上で重要な役割を果たすものである。とりわけ、議会の機能として住民に対する情報提供、あるいは政策決定に関する住民への説明責任が重視されるようになっている現在においては、その重要性が強調されなければならない。
すなわち、住民は、議会での審議や議員、政党の活動を知ることによって、次の選挙の判断材料を得ることになると同時に、そのことが、議員や政党に、住民の意思を反映した行動をとることを促すことにもつながる。また、公開によって、議会の審議そのものが住民の監視・批判を受けるとともに、その過程で争点や問題点等に関する情報が提供されることにより、住民の側がそれに対する反応・意見を示し、それが議会の審議にフィードバックされることも可能となる。さらに、単に結論だけでなく、その検討の過程を明らかにすることは、住民に対して決定の正当性・合理性を明らかにする説明責任を果たすことにも通じる。そして、これらのことは、議会の機能・あり方の問題としてだけでなく、住民の知る権利、さらに住民の参加ということからも基礎付けられることになるのである。
会議の公開が、議会制民主主義の支柱ともいわれるゆえんである。自治体議会の会議公開については、地方自治法で規定されている(115条1項)。
会議の公開は、広く議員以外の者がその会議の内容を直接又は間接に見たり聞いたりするなどして知りうるようにすることをいい、それには、一般に、傍聴の自由、報道の自由、記録の公開の三つの内容が含まれるものとされ、これらは、それぞれが他では代替されえない意義・機能をもつ。例えば、住民が審議を直接に見たり聞いたりする「傍聴の自由」は、会議公開の最も基本的なものといえるが、議会にまで実際に行く手間や、傍聴席の数といった物理的な制約などから、誰もがいつでも自由に傍聴できるような状況にあるわけではなく、多くの住民はマス・メディアの報道を通じて議会の審議の状況を知ることになる。したがって、現実には、会議の模様・内容を新聞等の活字やテレビなどにより住民に知らせるための「報道の自由」が重要な意味をもつことになるが、その一方で、メディアを住民と全く同一視することには問題もあり、また、そもそも、住民が審議の場に居合わせ、直接に監視するというのは、メディアの報道によっては代替されえない意義をもつ。しかも、メディアが報道できる情報量に限界がある以上、住民が審議の内容を詳細かつ正確に知ることができるようにするためには、会議録の公表などの「記録の公開」を欠くことはできない。
会議録については、その調製が議長に義務付けられており、議長は、事務局長又は書記長に会議録を作成させ、会議の次第と出席議員の氏名を記録させなければならず、会議録には議長と議会において定めた2人以上の議員が署名するものとされている。会議録は、書面のほか、電磁的記録によって作成することも認められており、議長は、会議録の写し、ないし磁気ディスクなどを添えて、会議の結果を長に報告するものとされている(地方自治法123条)。
以上のほか、近年においては、情報通信技術の発達によって、会議の公開の方法・態様はさらに多様化し、拡充されるようになってきており、議会テレビの導入や、インターネットを通じた審議の動画、会議録その他の各種情報の提供なども行われるようになっている。
なお、会議の公開は、議会制度の基本原則であるといっても、一切の例外を認めない絶対的なものというわけではなく、一定の場合には会議を非公開とすることも認められている。地方自治法では、会議公開の例外として、秘密会とするには、議長又は議員3人以上の発議により、出席議員の3分の2以上の多数をもって議決することが必要とされている。
もっとも、これらは本会議に関するものであって、委員会の公開については、それぞれの自治体の判断に委ねられており、実際には、委員会を非公開としているところも少なくない(12)。
そのような取扱いの背景にあるのは、委員会における実質的な審査の維持・確保の必要ということである。すなわち、委員会の審査を公開すると、委員に様々な圧力がかかったり、住民を意識して宣伝的・扇動的な発言がなされたり、議論が硬直化するなどして、実質的な討議が行われにくくなるおそれがあることから、それを制限することで、審査の形式化・非能率化を防止し、委員会を舞台に実質的かつ専門的・技術的な議論や政策的な妥協・調整が行われるようにしようとするものだ。また、委員会は内部的な事前審査機関であり、最終的な意思決定は本会議で行われるのであり、委員会の審査の経過・結果の報告が本会議でなされることで、公開を制限したとしてもそれほど問題を生じることはないともされる。
しかしながら、現在の委員会審査は、執行部に対する質疑が中心となっており、そこでは、政策的な妥協・調整よりも、論点や問題点を住民の前に明らかにすることの方に重点を置いたものとなり、委員会審査報告もかなり形式的なものとなっている。委員会審査の公開については、それがもたらす副作用を考慮することも必要であるが、委員会審査のあり方のほか、議会の機能、住民との関係なども念頭に置きつつ検討されていくべきものであって、それらを踏まえるならば、現状からその公開性を後退させる積極的な理由は見いだし難いように思われる。
あまり問題意識をもつことなく、漫然と委員会の公開を限定しているような状況があるとするならば、早急に改められるべきではないだろうか。
(1) 論じ合うことが「議論」であり、「討議」は一定の結論を得るために意見を交わして論じ合うことを指す場合などに用いられることが多い。本稿では、決定を行うために意見を闘わせることに着目する場合には「討議」、広く論じ合うことを意味する場合には「議論」を用いる。
(2) ハンス・ケルゼン「民主制」(1927年、布田勉訳)『デモクラシー論』(木鐸社、1977年)。ケルゼンは、そこで、多数決原理の有する本義ということから、「議会手続は全体として、演説と反対演説、論証と反駁を目指す弁証法的・対審的な技術を用いて妥協を得ることに向けられている」と述べる。
(3) 多元主義は、政策決定のプロセスを各種の団体・勢力による利益をめぐる抗争・駆け引きのプロセスと理解するものである。
(4) 行政処分に際し理由付記を義務付ける趣旨について、理由の不備により所得税青色申告に係る更正処分等を取り消した最判昭和38年5月31日民集17巻4号617頁は、「法が行政処分に理由を附記すべきものとしているのは、処分庁の判断の慎重・合理性を担保してその恣意を抑制するとともに、処分の理由を相手方に知らせて不服の申立に便宜を与える趣旨に出たもの」としている。
(5) ただし、合議体である議会が決定の理由を明らかにするとしても、常に反対派の存在やその決め方・示し方が問題となりうる。
(6) 条例の場合、通常、条例案のほか、要綱、提案理由、新旧対照条文、参照条文等の資料が配布される。また、長は、予算に関する説明書その他地方公共団体の事務に関する説明書の議会への提出を義務付けられている(地方自治法122条)。
(7) しかも、実際には、最初から、議員の持ち時間が設定され(さらにその後、会派への割当時間となり)、議員同士の議論は行わないこととされていたため、言い放しの発言の場となるなど、討議にはほど遠いものとなるとともに、議題の設定にも苦慮し、次第に議題を定めずに行われることとなり、やがて1950年の第7回国会以降はほとんど行われなくなった。
(8) W.バジョットは、その著『イギリス憲政論』(1867年)の中で、議会政治の知的条件の一つとして挙げた「合理性」について、「それは、思考能力をいうのではなく、むしろ他人の論拠に耳を傾ける能力、またそれを冷静に自分自身の論拠と比較する能力、さらにその結果に従う能力をいうのである」(バジョット「イギリス憲政論」(小松春雄訳)『世界の名著60』(中央公論社、1970年))と述べている。
(9) 棄権者の取扱いの問題は、表決の方法によっても異なってこざるをえない面がある。例えば、異議の有無を諮る方法では、棄権者は異議を発しない限り異議のない者=賛成者とみなされてしまうことになり、起立を求める方法では、棄権者は起立した者と逆の意思とみなされることになるが、国会では、実際上の取扱いとして賛成を問う表決に際し自己の席を離れることで棄権の意思を表すことが認められているため、反対者ではなくむしろ退場者に近い扱いを受けていると見ることができる。また、記名投票の場合には、賛成の者は白色票、反対の者は青色票を投票するが、棄権者は投票行為を行わないことになり、投票の結果も、投票総数○○、可とする者○○、否とする者○○と報告されており、棄権者は多数決の算定の対象からは除外されている。参議院の押しボタン投票の場合にも、賛成ボタンと反対ボタンしかなく、棄権者が何らかの意思を表示する手段は認められておらず、投票に参加しない者として取り扱われることになる。なお、衆議院規則155条の2は記名投票で制限時間内に投票しない者を棄権したものとみなすことができる旨を規定しているが、これは棄権を積極的に認めたものではないとされる。もっとも、このような取扱いは、棄権を定足数や「出席議員」に含めても含めなくても差異を来さないことによるものと見ることもできないわけではない。
(10) これに対し、地方自治法113条の「出席」・116条の「出席議員」のいずれにも棄権者・無効投票者は含まれないとする裁判例(高松高判昭和28年10月9日高裁民集6巻13号829頁・高松高判昭和28年9月25日行裁例集4巻9号2132頁)があるほか、棄権者・無効投票者は113条の「出席」に含まれるが116条の「出席議員」からは除外されるとする考え方、棄権者・無効投票者は113条の「出席」・116条の「出席議員」に含まれるが、議長の裁決の前提となる可否同数は棄権や白票の存在しない場合のみを指すとする考え方などもある。行政実例は、文理に最も忠実であり、議会の意思決定には議員の過半数の者の積極的な意思が必要でありそうでない限りは現状維持とすべきという考え方が背景にあるともいわれるが、そうであれば議長の裁決権の場合だけ観念的かもしれないが可1票・否1票の場合も行使できるとするのが考え方として一貫しているのか疑問もないわけではない。その場合に、裁決権は現状維持に行使されるべきとすることも考えられるが(従来においては現状維持が好ましいとしていたようであるが、帝国議会とは異なり、国会において可と決する例が2例ほど続いたため、そのような言い方はなされなくなってきているようである)、それは、今度は文理に忠実とはいえず、またそれならば、外国議会で例があるように、議長に裁決権を認めず、可否同数の場合は否決とすることをルール化すべきではないだろうか。なお、投票による採決の場合に、棄権は、白票とは異なり投票しないのであるから、これをどう把握するのかという問題もある。
(11) なお、自治体議会においては、標準会議規則を受け採決方法の一つとして無記名投票を規定するのが一般的である。他方、国会では、帝国議会時代にはあった無名投票を廃止したが(議長等の選挙のみ無名投票)、これは、憲法57条3項が会議公開として出席議員の5分の1以上の要求があったときには必ず各議員の表決を会議録に記載すべきと定めていることとの関係を考慮したものといわれる。無記名投票は、いわゆる秘密投票であり、議案の表決のあり方としては代表民主制との関係で問題があるとの議論がある一方、党議拘束の緩和の対応策の一つとなりうるとの議論などもある。ただ、この点については、ドイツの公法学者G.ライプホルツの次の言葉を重く受け止める必要があるのではないだろうか。「議員が自ら正しいと信ずるところにしたがってその決定を公表することは、代表議会制の本質に属することである。たくみな策をろうして匿名の暗闇に逃げ込むことによってのみ、議員がその自由を守りえたとしても、そのようにしてえられる自由は、このような手段によって議会制度が被るであろう損失に見合うほど価値あるものではないだろう。それのみか、……果たして実際に所期の目的を達成しうるものであるかどうかは疑問である。会派強制が強められると、秘密投票はまさに、議員が公衆の非難にさらされる危険を犯すことなく、会派強制にしたがうことができる格好の手段とされてしまうからである。」(「政党国家と代表民主制─ボン基本法第二一条および第三八条に関する一考察─」(1951年)竹内重年訳『二〇世紀における民主制の構造変化』(木鐸社、1983年))
(12) 本会議の公開についても、議員全員で構成し、非公開で行われる全員協議会で実質的な議論が行われることなどによって、若干骨抜きにされているところもないわけではない。
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