地方自治と議会の今をつかむ、明日につながる

議員NAVI:議員のためのウェブマガジン

『議員NAVI』とは?

検索

2019.09.25 議員活動

【インタビュー】新時代を迎え、 片山善博氏に聞く

LINEで送る

Ⅲ総務大臣時代

■民主党政権の総務大臣に就任
丸山 2010年(平成22年)9月に先生は総務大臣に就任されました。民主党政権時代に総務大臣に就任されたということで、まさに「地域主権改革」の一丁目一番地にいろいろ取り組まれましたが、一方で地方債への国の関与を減らすとか、自治体のために奮闘されました。そこでの先生の立ち位置として、民主党政権としての一丁目一番地を推進されながら、地方分権改革というのを地道にやっておられたと思うのですが、どのように兼合いを持たせて取り組まれたのですか。
片山 新宿でお酒を飲んでいるときに菅直人さんから電話がかかってきまして、「今度の組閣で総務大臣をやってくれないか」といわれました。大いに迷いましたが、民主党政権がマニフェストに書いていることは私もよく知っていましたので、あまり違和感はありませんでした。ただ、地方自治に関してはそれ以外のことでやってみたいこともありましたので、「もし私を大臣にしていただけるならやりたいことがあるのですが、それを許容してくれますか。それは民主党政権の視野からは少し外れるかもしれませんが、それでもいいですか」と申し上げましたら、「存分にやってもらいたい」とおっしゃるものですから、「それならやらせていただきます」ということになりました。
 私は、特に鳥取県知事時代に、外から見た総務省の悪いところを身をもって体験していました。でも、そのときには自分では変えることができませんから、切歯扼腕するしかありませんでした。でも、もし総務大臣をやらせてもらえるのなら、いいチャンスだから自分のやりたいことをやらせてもらおうと、段取りを考えました。ぼやぼやしていると内閣はすぐに潰れてしまいかねない。あの頃の内閣は1年で代わっていましたよね。失礼だけど、どうせこの内閣もそんなに長くはないかもしれない、と思っていました。そうしますと、早めに手を打っておかないと、時間切れになってしまいます。大臣に就任してすぐに、これとこれ、これとこれ、というように指示をしまして、進行管理をしたのです。
丸山 でも、あの時期は、なかなか普通では、短期間にやりたいことを実現することはできなかったと思います。それこそ、省内調整とかで手間取る話ばかりだったのではないでしょうか。
片山 それは、抵抗というか、サボタージュというか、あることはありました。例えば、先ほどいわれた地方債への関与を緩和するとか、国に対する寄附の制限の禁止をやめるとかですが、そのためには法律改正が必要です。そうしますと、「法律改正が非常に難しいから、少し時間をください」というわけです。専門家の意見を聴いて、委員会もつくってなどというわけです。そんなの時間がかかるばかりじゃないですか。「何が難しいのか」と聞くと、「立法技術がとても難しいのです」という。そこで「それなら、私が書いてあげるよ。法制局通いをしていた経験があるから、大丈夫だよ」といいましたら、今度は、「法制局が立て込んでいるから、今から割り込むことはできない」というのですよ。民主党政権がたくさん法案を出しているからということなのです。
丸山 最近でもそういうことがありましたね。お役所は常にそうなのですね。
片山 最近もそんなことがあるのですか。
丸山 いいますね、混んでいますって。
片山 法制局が混み合っているということですから、「そうか、それは大変だな。分かった。梶田信一郎法制局長官は私の高校の先輩だから、電話しておくから心配しないで」というと、「いえ、結構です、こちらでやりますから」と。そうやって進行管理をして、スピーディに片づけたのです。そうでもしないと、時間ばかりかかって、気がついたら内閣が倒れていたということになりかねませんでしたから。

■東日本大震災
丸山 かなりの短期間で、あれだけのことをされたのですね。ところで、先生が総務大臣のときに、東日本大震災が起こりました。そこでの先生の対応がまた早かった。まず窓口を一元化されました。初動態勢がかなり早かったですね、内閣というか官邸も含めて。
片山 私は鳥取県知事時代に大地震を経験しました。そのときの経験で、気にかかることがたくさんあったのです。東日本大震災のときに、私は直接の災害復興の担当ではありませんでした。担当の大臣がおられたので、あまり差し出口をしてはいけないのですが、気にかかることがたくさんあったのです。
丸山 消防庁のことですか。
片山 いや、消防庁は自分のところだからいいのですけれども、他の省のことで。例えば、被災地で今すぐ必要としている、あるいは不足している物資をどうやって運ぶか、供給するかとかですね。それから、各省の施策には漏れがあるのです。組織が縦割りですから、どうしても漏れがあるのです。そういうところに対するケアがないのですね。それを閣議の席でいうのですけれども、なかなか動かないわけです。
 そこで、江田五月さんなどに相談をしたら、「総理に話をして、被災者の皆さんの生活に視点を置いた窓口をつくろう」ということになりました。「被災者生活支援本部を設けてほしい」と総理に申し上げると、「分かった」とおっしゃり、「あなた責任者をやってくれるか」とおっしゃったのですが、防災担当大臣もおられるので、その大臣をトップにして私が副本部長で入ることにしました。各省から人を出してもらって、毎日昼休みを使って協議したのです。
 各省の縦割りの隙間を埋めるということでいいますと、例えば、震災遺児、震災孤児の問題です。これが全くノーケアといっていいぐらいだったのです。文科省は、「被災した遺児、孤児が就学年齢に達したら教育委員会、学校の役割になります」というのです。では、「就学年齢以前の遺児、孤児はどうなるのか」と尋ねると、「うちの担当ではありません」となる。一方、厚労省は、「里親制度の対象になれば、うちの所管になります」ということです。「里親制度に乗らなかったら」と聞くと、「保育園にも行っていなければ、手の打ちようがない」と、そういう話なのです。
 それではらちが明かないので、遺児・孤児のケアをする部門を設けてほしいと被災した各県に連絡をするのですが、被災地のどの県もうんともすんともいってこなかったのです。県庁も縦割りですから、国の役所と同じように自分の所管領域から外れると関心がないのです。この問題については、松本龍防災担当大臣、その当時の被災者生活支援本部長でしたが、遺児、孤児のことを大変心配しておられたため、直接知事に頼みにいこうということになりました。私がすべて行こうと思っていたのですが、松本さんが「それは片山さんに悪いから、自分が行く」とおっしゃったので、それならと手分けをして、松本さんが岩手県と宮城県に行き、私が福島県に行ったのです。県庁でサッカーボールを蹴ったり、知事を叱責したりして松本さんが物議を醸したことがありましたが、それはその折の出来事です。震災孤児、震災遺児のことをこれほど心配しているのに、県庁がそれをちゃんと受け止めてくれていないという不満がそもそもあったものですから、「やるべきことにきちんと対応してくれ」ときつくいいたかったのが、つい暴言とか失言につながったのではないかと思います。
丸山 失言などだけが報道されて、そのような話は表に出なかったですね。
片山 私は、同じ日に福島県へ行っていて、当時の佐藤知事と内堀副知事(現在の福島県知事)にお会いし、こういうことですからと申し上げると、「分かりました。すぐにやります」とおっしゃってくれて、「今日は来てよかったな」と思って家に帰ってくつろいでいたら、松本さんの問題がテレビで報道されたので、本当に驚きました。
丸山 そういうことだったのですか。
片山 そうこうしたら、仙谷由人さん(内閣官房副長官)から電話がかかってきて、「松本大臣も少々疲れていたから、やはり片山さんに全部行ってもらえばよかった」と悔やんでいましたが、もはや手遅れで後の祭りでした。
丸山 大震災などが起こると、ニッチな部分については、特に県庁などでは忘れ去られてしまうのでしょうか。
片山 そこをほぐそうと事務的に連絡したのですが、何の返答もなかったのです。「せめて担当者を教えてほしい」と連絡しても、なかなか返事が返ってこなかったのです。福島県の場合は、知事がすぐ担当者らしい人を呼んで「やりなさい」と指示してくれたので、スムーズにいきました。岩手県と宮城県については、その後、改めて私の方から話をして、それできちんとやってくれました。仮設住宅での入居者の孤独の問題などもニッチな問題ですから、県の縦割り行政では忘れられがちになるのです。丸山もっといろいろ伺いたいのですけれども、時間も残り少なくなってまいりましたので、現在のお考えのようなものをお聞きしたいと思います。

この記事の著者

編集 者

今日は何の日?

2025年 428

日本銀行開業(明治16年)

式辞あいさつに役立つ 出来事カレンダーはログイン後

議員NAVIお申込み

コンデス案内ページ

Q&Aでわかる 公職選挙法との付き合い方 好評発売中!

〔第3次改訂版〕地方選挙実践マニュアル 好評発売中!

自治体議員活動総覧

全国地方自治体リンク47

ページTOPへ戻る