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2019.09.25 議員活動

【インタビュー】新時代を迎え、 片山善博氏に聞く

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Ⅱ鳥取県知事時代

■鳥取県知事になって
丸山 そういう意味で、まさに飛び込んでいかれたというか、ずっぽりはまって鳥取県知事として就任されたわけですが、知事になられたとき、どういう思いというか、鳥取で何をなさりたいということで行かれたのでしょうか。
片山 これは鳥取県でということ以前に、大学のゼミの原体験がありましたね。やはり自治体を正常化するというのは、私のライフワークだと自分で勝手に思っていましたから。鳥取県政には課長で携わり、部長で携わったのですけれども、限界がありますよね、トップじゃありませんから。もし知事になれれば、鳥取県で自分が理想とする、そういう県政をやってみたい。それは情報公開とか、税を無駄遣いしないとか、また、議会中心といいますか、議会が闊達な議論で議案を修正したり、是正したりしながら、県政を知事と車の両輪で進めていく、そんな県政を実現してみたいという気持ちはありました。
 私は鳥取県で2回の勤務経験があり、知事になるまでに通算すると8年近く仕事をしていたのです。やはり思い入れがありますよ。隅々まで知っているというわけではありませんが、私の生まれた岡山県よりよほどよく知っていました。ですから、知事をやるなら他の県でということは考えられなかったのです。

■知事と議会は車の両輪
丸山 まさに今おっしゃったように、スタートのときから議会といろいろ対峙されたことが多かったと思うのですが、霞が関出身で知事になられた方で、なかなかそうしたシチュエーションというのは、世の中的にはなかったと思います。先生は、対立するという意思でやっているわけではなくて、流れに任せていたということなのでしょうか。
片山 私は最初、議会に自覚を促したのです。「従属的な議会じゃだめですよ」と。「決定権はあなた方にあるのだから、あなた方が議会で決めたことを知事以下の執行部が仕事として実践するわけで、決定権者が一番しっかりしないといけません。決定には責任を伴いますよ。その自覚はありますか」と、これを多少柔らかめにいったのです。ですから、「私が真剣に考えていろいろ予算とか議案を出しますけれども、皆さんの立場で予算とか議案を見たときに不十分だとか、無駄遣いがあるとか、そういうことがあったら徹底的にチェックしてください。それでよりよいものに改善し、変えていただいたらいい」と、そういう話を最初にしたのです。「議会はしっかりしてください」という宣言なのです。「私のもとでつくった条例案や予算を、根回しして頼む拝むでぜひ通してくださいなどということは一切いいません。皆さんが判断していいと思ったら通してくれたらありがたいですが、そうでなかったら修正していただいて結構です」という話をしたのです。
丸山 知事からそんなことをいわれたら、結果として議会も活性化したでしょうね。
片山 しました。少し時間はかかりましたけれども。最初は「今度の知事は何をいっているのだろうか」と。「普通は、案件を全部通してくれといって頭を下げて頼みにくるものだろう」とか、「けんかを売るのか」ともいわれました。「いや、そうじゃないですよ。皆さんで責任を持って審議しチェックして、完成品に仕上げてください。もし、条例とか予算に不備やミスがあれば、私の責任は当然ありますが、皆さんの責任も免れませんよ。私と議会は運命共同体なのですから、ちゃんとやってください」と。そうしたら、分かっている人は「いや、今度は大変だぞ」といっていました。「今度は大変だぞ」という人と、「けんかを売るのか」という人と、「この人何をいっているのか」という人がそれぞれいて、半年間ぐらいは戸惑いが議会にはあったようです。
丸山 胃が痛いとか、そういうことはありませんでしたか。
片山 全然ありませんでした。
丸山 でも、そうやって根回しという風土がなくなることで、透明化というものを皆さんが意識されて、それは結果としてやはり議員一人ひとりに自己改革を促したということですね。
片山 そうです。議員もそうですし、職員の意識改革にもなりました。今までは根回し体質ですから、どの議員に何をいったかとか、どの議員から先にするとか、順番を間違えると大変だったようです。
丸山 そういう苦労は疲れますね。
片山 そういうことばかり考えているから、頭がそういうことでいっぱいになるのです。あの人にはここまでいっているけれども、この人にはここまでしかいっていないとか、そういうつまらないことに気を使わなければならないことが多かったのです。それをパッとオープンにすれば、そんなこと一切考えなくていいじゃないですか。ですから、頭のハードディスクが少し楽になるのです、軽くなるのですよ。重要なことを考えられるでしょう。
 最初、職員は情報公開に反対でした。「そんなことまで公開したら仕事ができません」という人が多かったのですが、半年ぐらいしたら「こちらの方がよほど楽です」ということになりました。知っていることを話せばいいのですから。

■鳥取県西部地震
丸山 今でも一部の自治体や議会には、情報公開に尻込みするところがありますけれども、逆にそれをクリアすれば、本当に時間も短くなりますし、より多くのことができますね。
片山 ただ一つ難点といいますか、ハードルがあるのは、トップ自身が情報公開に耐えうる振舞いをしないといけないということです。情報公開はするけれども、「私のことは別だよ」ではいけません。
丸山 そうですね。でも、それはありがちなところですね。どうしても自分のこととなるとオープンにできない。
片山 「お金の使い方を全部公開します」といいますよね。「知事の交際費も公開します」といいますけれども、実は裏交際費があるとか、そういう例が結構あるのです。そんなことをやっていると本当の公開はできないし、職員にもトップは二枚舌を使っているということが分かりますから、胸を張って堂々と公開ということにはなりません。
 ですから、情報公開を徹底しようと思えば、やはりトップに公明正大さがないといけないのです。それに耐えられない人は、辞めた方がいいです。これは、結構きついことはきついです。ただ、税金をオープンな形でしか使わないということですから、これは当たり前のことなのです。何か飲み食いのようなものについ税金を使ったりする首長や幹部がいるのであれば、徹底した情報公開は無理だと思います。
丸山 知事になられてから間もなく「鳥取県西部地震」が起きました。そのとき印象的だったのは、住宅の支援制度を通されたことです。その辺のお話をお聞かせ願えませんか。
片山 2000年(平成12年)10月6日13時半にマグニチュード7.3、最大震度6強という「鳥取県西部地震」が発生しました。午後の1時半ですから、私は県庁にいたのです。本当にぐらぐら揺れました。最初は震源地が分からなかったのですが、県庁がこれぐらい揺れるのだから大変だろうと思いました。県庁がある鳥取市より西の方、島根県に近いところで起きた地震だったのですが、その日は県庁で体制を整え、翌日からはヘリコプターで現地に飛んで、職員と一緒に被災地を見て回ったのです、毎日。
 職員といろいろ話をする中での共通の認識は、今度の災害の復旧の要諦は住むところの確保ではないか、ということでした。屋根は飛んでいるし、建物は傾いたり倒れたりしています。そして、被災しているのは専ら高齢者なのです。建て替える資力もないし、気力もありません。そういう光景を見ていますと、まずは住むところの確保が先決だということが分かります。住民の皆さんは、地域を出ていく相談をしているのです。都会に出ている息子や娘のところに行くしかないといっているのです。我々が一生懸命災害復旧をして元通り住めるようにしようとしているのに、住民の皆さんは、地域を出ていく相談をしているのです。そんなことから、県庁の幹部の人たちも、「これは住むところをどうするかですね」と同じ考えになりました。住宅再建支援制度は、そんなところから始まったのです。
 住むところの確保は、災害復興住宅の建設などいろいろやり方があるのですが、鳥取では災害復興住宅というのはなじまないし、300万円ぐらいかけて仮設住宅をつくるのですけれども、これはいずれ取り壊すから無駄になります。何かよい方法はないかというので、自分で建ててもらったり、直してもらったりする、そのためのある程度の支援をするのがいいという考え方に自然となったのです。政府にもいろいろ聞くことがあって打診しますと、政府は「そんなことはさせない」とすごい剣幕で反発されました。こちらは忙しくて仕方ないのに。「住宅再建支援などしてはいけない」とやかましくいってこられるのです。「いや、国に金をくれなどといっていないから」といっても、「地方の金でも国の金でも、できないものはできない」の一点張りです。
 当時の自治省も、国土庁も、大蔵省も裏からそんなことをいってきますから、後のこともあるから少し仁義を切っておかないといけないと考え、私は、地震の何日後だったでしょうか、それほど時間をおかないで東京に行きまして、関係先を回ったのです、「住宅再建支援をするつもりだ」と。各省の対応は、それはひどかったです。「やらせない」というのです。私は、「地域や住民のことを考えたらこれしかないので、やりますからね」と申し上げました。そうしましたら、西田司自治大臣だけが、じっと考えられた末に、「分かりました。やってもいいとはよういわんけれども、分かりました」といってくださいました。
丸山 気持ちが伝わったのですね。
片山 ですから、とても感謝していますよ。
丸山 この手法は、後々ほかの自治体に広がっていきましたね。
片山 いや、すぐには広がらなかったです。全国知事会でも四面楚歌の状態でしたから。ただ、その後、新潟で大雨が降ったり、その他の地域でもいろいろな災害が続いたりして、住宅支援制度はやはり必要だということになってきました。痛い目に遭って、だんだんコンセンサスが得られてきたという感じですね。そうこうするうちに、住宅再建支援制度は国全体の政策になりました。現在では、鳥取県でスタートした300万円の助成金を出すという政策が、国の制度になっています。東日本大震災のときにはそれが自動的に適用されて、本当によかったと思いました。

■鳥取県政の何が変わったか
丸山 鳥取県西部地震の際に考え出したいろいろな政策が、その後の全国の災害対策に生かされていくことになるのですが、先生は通算しますと20年近く鳥取県で仕事をされたわけですね。財政改革とか、議会のすべての情報公開とか、いろいろ取り組まれたのですが、鳥取県は片山知事によって何が変わったとお感じですか。
片山 県庁が高みに立って見下すような、そういう体質は変わったと思います。どこもそうかもしれませんが、県庁にはそういうところがあったのです。民間経済が低迷している中で、県庁には地方交付税がいつもどっと入ってきて、安定した超大企業なのです。ですから、県職員というのは、就職の際には最も人気の高い職場ですし、県庁から何かいわれたら、長いものに巻かれろといった空気が、市町村にも民間企業にもあったのです。ですから、県庁にはいいにくいことはいわないという伝統ですね。そうではなくて、県庁も平準化して、“oneofthem”といいますか、文句があったら市町村からもどんどんいってくださいというように、当たり前の姿にしたいと思っていたのです。完璧ではありませんが、かなり変わってきたという気がします。
 例えば、これはマスコミの皆さんから聞いたのですけれども、ちょっと新聞などで知事の批判をするとか、皮肉をいうなどの記事が出ると、すぐに県庁の幹部がやってきて、寄ってたかっていろいろ文句をいわれたというのです。
丸山 取り下げろとか。
片山 そういうことも以前はあったようです。
丸山 今でもどこかにそんな話がありますね。
片山 こんな質問をしてはいけないとかいうのもそうですね。でも、私が知事になってからの鳥取県庁では、そういうのはなくなったと思いますね。
丸山 要するに、タブーもなくなったということでしょうか。
片山 そういうことでしょうね。

■なぜ2期で知事を辞めたか
丸山 当時「この仕事に全力投球できるのは10年が限界」とも語っておられ、多くの人がそう思っていたのですが、2期で知事をお辞めになった。もう少し続けてほしいという、待望論のようなものもあったと思うのですけれども、多選問題とかそういうところで判断されたわけですか。
片山 私は、最初の知事選に出るときに、2期8年だというのは、だいたい決めていたのです。ですから、どこかのテレビに出たときに、確か今、神奈川県の知事をされている黒岩祐治さんがキャスターをやっていた番組で何か聞かれた覚えがありますが、「私はせいぜい2期8年ですから」と答えていたのです。その番組は日曜日の放送で、翌日の月曜日に記者会見がありまして、それが終わって廊下で「2期8年って、昨日テレビでいわれましたよね」と質問されて、「いいましたよ」と答えたわけです。そこから話が発展するのかなと思っていましたら、「ああ、そうですか」で終わってしまいました。後で聞いてみたら、全然誰も信用してなかったというのですよ。知事が何か格好いいことばかりいっているんじゃないかとね。でも、私は本気でそう思っていたのです。
 といいますのはね、私が自治省に入ったときに、先ほど申し上げた研修がありまして、著名な方が来て講話をしてくれるのです。その中の一人に長野士郎岡山県知事がおられました。長野さんは1972年(昭和47年)に知事になられました。私は1974年(昭和49年)に自治省に入って、そのとき長野知事は就任2年目でした。長野知事はとても爽やかで清新な方でした。岡山は私の郷里ですから、「我が郷里もいい県政になったな」と思っていたのです。ところが、その後何年かたったときに出張で岡山県庁へ行ったのです。その頃は知事4期目ぐらいでしたが、とにかくボロボロというと失礼ですが、とても異様な印象を受けました。丸山ボロボロというか、ゴッドのような感じだったのでは。片山ここは独裁国家かと思いました、本当に。幹部がそろっておられるのですが、皆さん静かにしています。夜たまたまお招きいただいたので食事に行きました。知事とか副知事とか部長とか幹部の方が皆さんおられて、こちらは自治省の人たちと何人かで行きました。そうしましたら、先方は知事しか話をしないのです。
丸山 できないですよね。
片山 そうかもしれません。知事だけが得々としゃべるのですが、他の人はそれをじっと聞いてうなずいているだけなのです。さすがにメモはしていませんでしたがね。
 こんなこともありました。私は、国際交流の仕事をしておりましたので、岡山県庁に外国人を連れていくということがありました。そのときに、岡山県庁で歓迎会をしてくれるというので、喜んでお受けすることにしました。すると、歓迎会の式次第の案が来ました。拝見しますと、順番や配列がどう考えてもおかしいのです。東京事務所の人に「これ少しおかしいから変えた方がいいですよ」と話すと、「だめです。もう知事が見ていますから。この式次第は、知事の了解を得ていますから変えられません」といわれて当惑しました。いい仕事をすることよりも、知事のいうことを聞くことが目的のようになっていることに当惑させられました。
 私が特にショックだったのは、私が入省したときにあれほど爽やかで清新だと思った知事のもとの県政も、年月がたてばこんな有様になる。何でだろうか。それが多選の弊害なのだろうと思った次第です。3期目をやると4期目をやりたくなるのです。3期目で辞めるというのはなかなか難しいのです。だったら2期ぐらいで辞めた方がいい。アメリカの大統領だって2期8年です。私は、大学で政治学を勉強しましたけれども、権力は腐敗する、絶対権力は絶対腐敗するというのは、古今東西の真理だろうと思います。
 その考えは今でも変わっていません。この間もある市を訪問する機会があったのですが、私からいわせればボロボロでした。市の職員はみんなトップばかり見ているのです。市民を見ていないのですね。
丸山 おっしゃるとおりですね。まだまだ地方自治のお話を伺いたいのですが、時間がずいぶんたってしまいました。次に進ませていただきます。

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