2019.09.25 議員活動
【インタビュー】新時代を迎え、 片山善博氏に聞く
■自治省課長時代
丸山 そうしますと、その後、自治省に戻ってこられて、税務局で固定資産税課長や府県税課長を経験されました。私が最初に税務局を担当したとき、至るところで片山先生のお話が出てきて、片山先生ならこうだったろうなというような話を皆さんされるのです。この本省勤務のときに、例えば固定資産税課長の時代にいろいろエピソードがあったと思うのですが、一番苦労されたことは何でしょうか。
片山 そうですね、土地の評価替えに伴う課税の仕組みを、どういうふうに構築するかということが一番の問題でした。実は私、先ほども少しご紹介いただきましたが、自治省固定資産税課長になる前は鳥取県の総務部長だったのです。鳥取県への最初の赴任で地方課長と財政課長をやって、それから東京へ戻って、そしてまた鳥取県で仕事をせよといわれて、総務部長を3年半ほどやりました。
総務部長を3年以上やったときに、自治省官房長から電話がかかってきまして、「今度、固定資産税課長をやってくれ」といわれました。「分かりました」と申し上げたのですが、実は大きなミッションといいますか、使命がありまして、「今、固定資産税が大混乱しているので、立て直してくれ」といわれたのです。
1994年(平成6年)の評価替えで訴訟もたくさん起きていましたし、固定資産評価審査委員会に対する不服申立てが大量に出ていました。システムが大混乱していたのです。東京とか大阪などではまるで反税闘争が起きているような状態でした。これを何とか解決するのが当面急務だから、「大変だが、やってくれないか」という電話を官房長からいただきました。丸山 やはり税のプロだからということですか。
片山 見習時代も含めて、税の経験は結構ありました。「みんなに聞いたら、君がいいだろう」ということだったので、「悪いけれども、やってくれないか」とおっしゃったのです。私は、「分かりました」と申し上げて、それで税務局に戻ってきました。しかし、それは本当に大変でした。訴訟の多発など、大都市部を中心に、本当に反税気運が満ち満ちていました。
丸山 評価の仕組みが複雑ということもありましたか。片山評価をした後の課税の仕組みが複雑怪奇になっていまして、私が見ても、とてもよくない制度にしてあるのですよ。納税者の信頼が得られない仕組みにしてあるのです。だから、これはすぐに直さなきゃいけないと思いました。ところが、組織の中では、みんな上から下まで現状でよしという考えで凝り固まっていますから、まずは局内を説得するというか、「改善の方向に持っていかなきゃいけませんよ。こんなのじゃ、とても制度は持ちませんよ」ということを了解してもらうことに相当エネルギーを費やしました。
丸山 ただ、当時は今と違って、税制一つ変えるにも自民党税制調査会というハードルがあり、これが大変だったようですね。先生は、根回しがお嫌いだったと思いますが、ここをうまく突破されたと、当時の武勇伝を伺っています。
片山 私はほとんど根回しをしなかったですね。何が悪いかって分かっていましたから。一つは不透明なのですよ、隠蔽的な税制だったのです。納税者がよく分からない、情報にアクセスできない、制度があまりにも複雑すぎる、それから、中長期的な視点がない、というように、問題だらけだったのです。要するに、法律に向こう3年のことは書いてあるけれども、そこから先は白紙で、3年たったら考えようというような、そういう制度だったのです。また、租税法定主義に反して、課税の重要な要素を一片の通達で決めている。租税通達主義になっているのです。悪いことだらけだったのです。ですから、これらをできる限り改めてやろうということをまず自分の中で決めて、それで、そういう方針で部下といろいろ相談をして、一つひとつ改善案を練っていったわけです。
そして、あとは、これなら自民党の税制調査会も納得するだろう、それほど文句は出ないだろうという確信を得るに至ったのです。そのようにして、一気呵成にいわば出たとこ勝負のようなやり方で臨んだのです。そうしたら、ほとんど異論はありませんでした。むしろ、税制調査会の幹部からお礼をいわれたりして、ありがたかったです。
丸山 7割評価、下落を修正するということですね。
片山 そうです。従来は、税制改正の際には、税調の主要メンバーから中堅どころまで一人ひとり丁寧に根回ししていたのですよ。今度こういうふうにしますからって。そのエネルギーたるや莫大なのです。時間と労力と気遣いと、それはそれは大変なんです。そんなことをするぐらいなら、税制自体を真剣に考えて、あるべき方向に持っていくにはどういう改善が必要かということを、みんなで議論した方が、よほど生産的じゃないですか。だから、そういうふうにして、そこから得られた結論を、自信を持って税調の場にぶつけたのです。
■税制改正について
丸山 ただ、あれは片山先生だからできたということをおっしゃる総務省の方もいます。先生は根回しなどはしなかったとおっしゃいますが、先生一流の気配りというのが、やはりどこかにあったと思うのですが。
片山 基本的には、政治家の皆さんは真面目です。特に幹部の人たちは。
丸山 インナーと呼ばれる非公式の幹部会の皆さんですね。
片山 インナーの方たちはよく税制を分かっていますし、普段からよく議論をしていますから、個別の改正についてはあまり議論はしませんでした。ただ、頻繁に付合いはありました。例えば一緒に食事をしたり、インナーの方がぶらっと訪ねてこられたり、逆にこちらから伺ったりというように、いろいろ意思疎通を図っていましたから、こういう内容であれば、おそらくインナーの方たちは理解して納得してくれるだろうと、そういう信頼感はありましたね。
むしろ、局内、省内の方が問題で、先ほどお話ししたように1994年(平成6年)に行われた税制改正では、説明がつかないような変な制度にしていたのです。でも、せっかく改正したのだからというような信仰に近い人たちもいまして、そちらの人たちの肩をほぐす方が大変でした。それは気配りといえば気配りでしょうが。省の現役の幹部はもとより、関係のあるOBのところにも伺いました。「もう今の制度じゃ持たないから変えたいので、いろいろご不満はありましょうが、目をつぶってください」といいに行きました。そうしたら、意外に「分かった、分かった。もう君の思うとおりにやってもらっていいから」という人も多かったです。
丸山 そうしますと、当時課長でいらっしゃった片山先生のもとで、みんなが知恵を出して進めていくということだったのですね。
片山 課長補佐とか、係長とか、ベテランの皆さんとか、真剣に考えてくれました。毎朝出勤してみんなそろうと、自然と議論が始まるのです。前の日に考えてきたり、通勤途上で考えてきたりしたことを皆で出し合う。私はお風呂に入っているときにいいアイデアが浮かびました。アルキメデスみたいですね。それで、翌日、課長補佐や係長と一緒に「こういうのを考えついたのだけれども、どうだろうか」とか、そういう毎日でした。そうすると「それ、いいですね」とか、「それはちょっとどうですかね」という話になるわけです。
ですから、根回しをするというよりは、ディスカッションの方がよほど重要でした。そうすると、考え方や議論のプロセスを皆で共有できるじゃないですか。課の全員が聞いていますから、係員も含めて。それが後に、その考えを具体化する際には大きな力になる。スピーディに改正作業が進む原動力になります。
丸山 そして、省内でも情報共有となっていくわけですね。
片山 あとは、課の意見がまとまったら局長をどうやって説得するか、平たくいえば、どうやって丸め込むかですね。局長はどうせブーブーいうだろうからどうするか、という局内戦略を練っていました。
丸山 そうですか、それは根回しではありませんね。
片山 今から考えますと、申し訳ないことをしたなとは思います。例えば、大臣答弁があるじゃないですか。大臣が国会に呼ばれて答弁するでしょう。答弁書は各課で書きますから、それはだいたい係長が原案を書いて、課長補佐がほぼ仕上げて、課長が「よし」といって、審議官・局長まで上がって、その後、大臣秘書官に届けるのです。もう道行きが分かるのですよ。どうせ局長のところで答弁内容が先祖返りするなと。
ですから、本音の答弁内容とは違うけれども、とりあえずは局長がまあまあ満足する内容の範囲内にとどめておいて、それを大臣室に届けておきます。当日の朝、大臣レクに行くのは課長ですが、大臣から案の定「この答弁では納税者の理解を得られないのではないか」などと不満が出ます。そこで「ここにはこう書いてありますが、こんな考え方もあります」と、本音の内容を説明します。すると、大臣が「そっちの方がよっぽどいい。その内容に変えてくれ」ということになります。
丸山 大臣レクのときにですか。
片山 局長の意向を踏まえて作成した答弁書に、その場で私が赤鉛筆で修正し、大臣はそれをもとに答弁される。そんなことが時折ありました。局長は「大臣は何であんな答弁をしたのだろう」とご不満ですが、大臣が自分で変えたのならしょうがないということで納得せざるをえないわけです。こんなプロセスを通じて省内のちょっといびつなコンセンサス形成をすることもありました。
■楽しかったこと
丸山 今、大臣のお話が出ましたが、先生は大臣秘書官もやっていらっしゃいますね。
片山 大臣秘書官もやりました。
丸山 秘書官としての立場は、今の課長の場合とはまた違う立ち位置だったと思うのですが。
片山 大臣秘書官は課長をやるより前にやったのですが、とても貴重な経験でした。大臣秘書官は、役所の中から任命されるのですね。もう一人政務の大臣秘書官がいまして、これは国会議員としての大臣が自分の事務所の秘書の中から任命するのが一般的です。役所から配属された大臣秘書官は、役所の人間なのですけれども、政治家としての大臣の懐に入るわけですから、その立ち位置が非常に難しいのです。往々にして役所の人間のままで大臣に相対する秘書官もいるのですが、これはうまくいきません。大臣を見張っているようで、大臣から警戒されるわけです。それから、まれにずっぽり大臣の懐に入り込んじゃう人もいます。経済系の官庁に見られるのですが、ずっぽり入り込んで、政治的なことも含めて大臣の手足になるのです。これもまずいのです。
役所から任命された大臣秘書官は、片足は役所に残して片足は大臣の方に突っ込むという、絶妙なバランスが必要だろうと思いまして、私はそれを実践するように努めました。役所に両足を突っ込んだままだと、大臣から信用されません。信用されないと大事なことを相談されることもないし、こちらがいったことも聞いてもらえないでしょう。
逆に、役所から足抜きして大臣の方に2本の足を突っ込むと、役所から遊離してしまいます。ですから、このバランスをとるのに努めました。これは結構難しかったです。
丸山 難しいですよね。先生は自治省時代、いろいろなポジションでやっていらして、自治省時代に一番楽しかったことって何かおありでしょうか。
片山 全部楽しかったですよ。楽しかった思い出はたくさんあるのですが、特に法律の改正作業に携わるのは楽しかったですね。若い頃は内閣法制局に通って税法改正の案文の審査を受けたり、条文を書き加えたりするのですが、それがとても楽しかったです。だって、法律を変えるわけですから。最終的には国会議員の皆さんが変えるのですけれども、その原案を書くわけでしょう。緻密な作業ですし、知的好奇心や関心を大いに満たしてくれます。それから、税制というのは政治そのものですから、政治で決めたものを法律にしたためるわけです。ですから、政治の一端に携わっているという意識もありますし、とても楽しかったですね。
■三惚れ主義
丸山 当時の自治官僚の方たちには、「三惚れ主義」というのがあったと思うのですが、片山先生もそれには同意されますか。
片山 同意はしますけれども、わざわざいうことではないですよ。当たり前だと思うのです。「女房に惚れろ」というのは人によって違うかもしれないですが、「土地に惚れろ」、「仕事に惚れろ」というのは当たり前ですね。だって、そこで一生懸命やれば、当然そうなりますよ。どこかの県庁で仕事をするときに、真剣に仕事をすればそこの県を当然好きになるし、何のために仕事をしているかといったら、県民の皆さんのために仕事をするわけです。ですから、惚れろなんていわれなくても当たり前のことなのです。あえて「土地に惚れろ」、「仕事に惚れろ」といっているということは、本音では惚れていないんじゃないかと思ってしまいます。
丸山 おっしゃるとおりですね。でも、今は総務省の若手の方は出張も日帰りですし、どちらかというと、やはり地方勤務というものに対する根の深さがちょっと違うと思います。
片山 そうかもしれません。能率や合理性が優先されがちだからでしょうか。それと、東京中心になっていますね、あっさりしています、話を聞いても。自分が勤務したことのある地方へのこだわりが、やはり少なくなっていますよ。
私の地方勤務の経験は、期間はともかくとして、場所としては少ないのです。県庁でいいますと、最初は熊本県庁に行ったのですけれども、その後は課長として鳥取県庁、部長としても鳥取県庁ですから、数は少ないのです。普通は三つぐらいの自治体はみんなこなしていました。もっと多い人もいましたよ。
当時は、ほとんどの人は自分が勤務したことのある県のことが話題になると、もう居ても立ってもいられなくて、身を乗り出していつの間にか弁護人になっているのですよ。例えば、どこかの県で何か不祥事があったというときに、「それはそうだけれども、やはりこういう事情があったんだよ」などといってかばう人が必ずいたのですよ、北海道から沖縄県まで。沖縄県は、少し経験者は少なかったのですが、それでも必ずその代弁者がいたのです。
本当に我がことのように口角泡を飛ばしてという人がいたのです。ですから、自治省の中では「あの県のことなら、あいつにちょっといっとかなきゃいけないな」という雰囲気がありました。ですから、私が自治省の課長補佐や課長のときも、鳥取県のことが話題になりますと、必ず呼ばれたり声がかかったりしました。「ちょっと鳥取県でこういうことをしようと思うのだけれども」と、そういうことがあったのです。最近聞きますと、そういうこだわりのある人が少なくなってきたという印象があります。蒸留水のようにあっさりとした付合いに変わったのかなと思います。丸山やはりそうなのですね。総務省とはいいながら、意外なほど軸足が霞が関にあるというイメージがあるものですから、「三惚れ主義」というのが今でも生きているのかなと思って伺った次第です。
片山 いや、昔の自治省は違っていました。私が総務部長や知事をやっていたときもそうだったのですけれども、各省から県庁に多くの人が赴任してきますが、省によっては本当に省の一員のままの気分で来る人もいたのです。県の職員になったはずですのにね。でも、総務省の人、自治省の人は、本省つまり自分の親元の方から何かいってきても、それを冷静に客観的に見て、是々非々で「自治省からこんなことをいってきましたけれども、ちょっとだめですよね」みたいなことを平然という人が多かったです。ところが、他の役所から来た人は、国の方針に忠実にしか仕事ができない、東京からの指令に忠実にしか仕事ができない人が多かったような気がします。もちろん、例外的な人もいましたが。ともあれ、そういう違いがありました。最近はどうなのでしょうか。あまり他の省庁と変わりがなくなったのかなと、そんな気もします。いろいろなニュースを聞いていますと。