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2018.12.10 政策研究

「きよしこの夜」生誕200年を迎えた国境の都市

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 広場の中心で、十数段の石段を上がったところに入り口がある「きよしこの夜」記念礼拝堂は、詰めれば20人が座れる程度の広さである。正面に祭壇があり、左右にステンドグラスがはまっている。正面に向かって左にはギターを弾くグルーバー、右にはペンを持つモールが描かれている。
 聖歌が生まれた19世紀初めのこの地域は、ナポレオン戦争でのフランス軍による占領や自然災害が多発し、飢餓と貧困にあえいでいた。それだけに人々の平和や希望への願いは大きかった。人々がこの歌にひきつけられたのは、心に響くメロディーや歌詞に加え、こうした時代背景もあったのだろう。
 ザルツブルク州に属すオーベンドルフの人口は、5,600人。ザルツァッハ川沿いのこぢんまりした静かな村である。ザルツブルクは「塩の城」の意味である。ザルツブルク近郊では、古代ケルト民族の時代に塩分を含んだ山の湧水を発見した。古代の海をその源とし、現在も岩塩を産出している。この土地を支配した大司教が利益の上がる岩塩の売買で得た富で、中心都市であるザルツブルクの街並みを築いた。昔は、ザルツァッハ川を下る船で岩塩を各地に運んだ。オーベンドルフはその船乗りたちの集落だった。
 ザルツァッハ川に架かる国境の橋を渡ると、ドイツのラウフェンである。ただ、昔から橋や川が国境だったわけではない。ラウフェンはもともとザルツブルク司教の領地だった。19世紀の初頭に、ナポレオン戦争の戦後処理で、いったんはイタリアのトスカーナ大公の領地に変わり、その後、ドイツのバイエルン王国の一部になった。「きよしこの夜」の生まれる2年前の1816年にバイエルン王国は川の東側部分をオーストリア帝国に手放した。これによって、何世紀もの間、一つの町だった地域は分割され、ラウフェンとオーベンドルフに分かれた。街の中心を流れていた川が突然国境になって両岸の人たちの国籍、法律、通貨などが別々になり、地域経済が混乱した。
 電車でオーベンドルフに着いた際、駅名にハイフンで隣国の地名も付いていることに興味を持った。そのときは、地理的に近いためと単純に考えたが、現地で調べていくうちに、その背景には市民ではどうにもならない重く悲しい歴史があることを知った。聖歌が生誕したのは、この地域の分割2年後のことだった。
 

1937年に完工した「きよしこの夜」記念礼拝堂
 

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