2018.12.10 政策研究
「きよしこの夜」生誕200年を迎えた国境の都市
元日本経済新聞論説委員 井上繁
もうすぐクリスマス。にわかクリスチャンであっても、ろうそくを灯(とも)したケーキにナイフを入れ、クリスマスキャロル(聖歌)の「きよしこの夜」を口ずさむ人も少なくないだろう。今年は、この歌が生まれて200年の節目の年と知り、その生誕の地であるオーストリアのオーベンドルフを訪ねた。
モーツァルトの生誕地で楽器の製造が盛んなザルツブルクから郊外電車で30分弱、最寄りの「オーベンドルフ─ラウフェン」は駅舎のない無人駅だった。何度か道を尋ねてようやく見つけた「きよしこの夜」記念礼拝堂は、ドイツとの国境にもなっているザルツァッハ川の堤防近くの低い「聖なる夜広場」に築いた小さな丘の上に立つ。
かつてこの付近には聖ニコラウス教会があったが、ザルツァッハ川が何度も氾濫したため1906年までに別の場所に移転した。その後堤防の改修が進み、教会の跡地に「きよしこの夜」記念礼拝堂が1937年に完工した。
1818年のクリスマスを間近に控えたある日、聖ニコラウス教会の神父J・モールは、友人の教師で教会のオルガニストでもあったF・X・グルーバーに、クリスマスのミサで演奏する合唱曲を作ろうと提案した。モールがグルーバーに歌詞を届けたのは12月24日の朝だった。教会のオルガンが不調だったため、グルーバーはギターの伴奏で作曲した。その夜のミサでは、モールがテノールを、グルーバーがバスを受け持った。当時の曲に題名はなく、1回限りの曲となるはずだった。
ところが、チロル(オーストリア西部からイタリア北部にまたがるアルプス山脈東部の地域)からオルガンの修理に来た人がこの曲を持ち帰り、チロルで愛唱されるようになった。そこからドイツを経由して世界に広がった。その後は、いろいろな伴奏形式による編曲が行われた。