2018.10.10 政策研究
ウィーンの「寅さん公園」を訪ねて出会った人たち
元日本経済新聞論説委員 井上繁
1枚の写真だけを手掛かりに公園への道を尋ねた。ここはオーストリアの首都・ウィーンの21区フロリズドルフである。同名の駅で降りて何人かに写真を見せたが首をかしげるばかりだった。「まかして」と言わんばかりに親指を立てたのは、少年とともにベンチに腰掛けていた大柄な男性だった。近くには自転車と少年のスケートボードが置いてある。「そこを左に曲がり、すぐ右に入ってごらん。藤棚があるからそれをくぐって、そのまま真っすぐいけばよい」。礼を言って、その方向に歩いたが藤棚は見つからない。きょろきょろしていると目の前に再び2人が現れた。自転車とスケートボードで追いかけてきたのだろう。「ついてこい」と言い、先導してくれた。相手は自転車だから早足で歩いた。男性は別れ際に「暑いでしょう」と言い、荷台の袋からスティックのアイスを1本取り出してくれた。道を教えてもらって逆に何かをもらったのは、国内外で初めての経験である。
フロリズドルフ区と東京・葛飾区は1987年に友好都市提携を結んでいる。前年、当時のH・ツィルク・ウィーン市長が来日する際の飛行機の中で、山田洋次監督、渥美清主演の映画「男はつらいよ」を鑑賞し、舞台となった葛飾・柴又の風景や下町の人情がウィーン郊外の風景に似ていると強い印象を受け、市長の仲介で両区の提携が実現した。確かに、ドナウ川のほとりの同区はウィーン北東部に位置し、江戸川などが流れ東京の北東部に位置する葛飾区と地理的に共通点がある。
「男はつらいよ」シリーズで寅さん自身が出演する初の海外ロケとなった「寅次郎心の旅路」はこの都市を舞台に撮影され、1989年に41作目として公開された。寅次郎は大分県の湯布院(現由布市)と聞き違えて機上の人となり、着いた先がウィーンという筋立てだった。このときのマドンナは竹下景子さんで、現地ガイドを演じた。H・ツィルク市長自身もこの映画に出演している。
目指す「TORA-SAN-PARK(寅さん公園)」は、旧ドナウ川につながる湖畔の親水公園と道路を挟んだ反対側にあった。親水公園で、2頭の大型犬を散歩させていた男性に恐る恐る近寄って尋ねたが首を横に振るばかりだった。ベンチでアイスをなめているとき、遠くの高台で先ほどの男性が大声で手招きしているのに気がついた。今度は犬に先導され、2人で別の公園へ。男性は「ここは2頭の毎日の散歩コースだが、日本庭園とは知らなかった」としきりに弁解するので、恐縮した。
道路から見える位置にウィーン市と書いた案内板があり、「寅次郎心の旅路のウィーンでの撮影20周年を記念して2009年に命名された」とドイツ語と日本語で書かれている。近くの石には、にっこり笑った寅さんの写真が埋め込んである。全体としては地味な公園だが、その一角に白砂利を敷いて枯山水ぽく造った日本庭園がある。周囲には松やカエデがそれぞれ5~6本植わっており、狭いながらも日本の雰囲気を出そうとする努力の跡がうかがえた。
公園で出会った2人の青年に声をかけると、ともに日本との友好都市提携のことは知らなかった。2人のうち、料理人を目指しているという19歳は「そういえば、この先に日本料理店がある」とその方向を示した。提携について知らなかったことを恥じるような口ぶりや、しぐさだった。
公園の横の道路を挟んだクラインガルテン(市民農園)で一服していたひと組の夫婦は「友好都市提携のことはよく知っている」と言い、日本からと名乗ったせいか、こちらが質問しないのに「近くにKATSUSHIKA STRASSE(葛飾通り)があるんですよ。フロリズドルフ駅から31番の市電で2つ目」と教えてくれた。この国の首都で、寅次郎のような人情味あふれる人たちに出会うことができたのは幸運だった。
2019年は、「男はつらいよ」シリーズ第1作の公開から50年。松竹はこれに合わせて22年ぶりの新作を公開する準備を進めている。新作は第50作となる。50作目の作品は、新しく撮影する部分と、過去の名場面とを組み合わせて構成する。渥美清さんは1996年に他界したが、寅さんが再び帰ってくることになる。改めて「寅次郎心の旅路」のポスターを見ると、「ハロー。みんな元気か。遠い異国の空から皆の幸せを祈って」とあった。