2018.08.10 議会運営
第39回 公文書管理にもっと光を!─議会のチカラで行政の文化を変える─
行政は「文書主義」であるといわれています。
しかしながら、実際、日々作成されている公文書は……。
実務の現場では、関係者の間で、口頭でのやりとりがなされた上で、事案の処理が決定されることがしばしばあるのです。もちろん、その後、職員が起案書を作成し、回議となるわけですが、その内容はすでに関係者間では合意されていますから、その結論に至る口頭でのやりとり、議論の内容は、起案書では端折られがちになります。
ここに結論しか書かれていない起案書ができ上がるわけです。そして、それは難なく決裁されることになります。何せ、すでに根回し済みなのですから。
このことは、公文書管理法の目的に沿わないばかりか、職員の事務効率化に大きな影を落としているのです。将来の市民等への説明責任を果たすどころか、後任の職員への引継ぎもままならなくしているのです。起案者が「今しか見ていない、今しか考えていない」からです。この場合、意思決定過程は、そのときに在籍していた職員の記憶の中にしか残らないのです。行政には異動がつきものです。このような起案書しか残っていないようでは、行政事務の継続性を保つことが難しくなります。また、マニュアルをつくる時間がないという職員の声があります。まさに、日々の業務に追われ、「今のこと」だけで精一杯ということなのでしょう。しかし、異動の辞令とともに、その職員の記憶とそのスキルは去っていきます。つまり、日々の起案書こそがマニュアルとなる、そのような起案書を作成すべきではないかと思うのです。その起案書があれば後任職員へのマニュアル代わりになり、そして市民等への説明責任も十分に果たせる、そんな文書を作成すること、それこそが誠実な仕事といえるのではないでしょうか?
「起案書は当該事案の集大成である」。そのような公文書作成が求められているのです。
提言
太平洋ひとりぼっちさんには、偉大なる素人として「なぜ」というギモンを行政に投げかけ続けていただきたいのです。そのことが、必ずや「記録をしっかり残す」行政文化の定着に寄与するはずだからです。
公文書管理という課題は、一度足を踏み入れると想像以上に深く、さらにコストがかかるものです。そのことが、多くの自治体が二の足を踏む理由かもしれません。しかし、公文書管理は民主主義の根幹であるはずです。太平洋ひとりぼっちさん、まずは起案書作成のあり方から、ただしてみてはいかがでしょうか。