2018.07.25 なり手不足
第7回 住民自治の裾野を広げねば、議員のなり手不足は解消しない~飯綱町と佐久市~
佐久市にもあった議員のなり手を育てる政治塾
議員を養成する政治塾は、もはやそう珍しい存在ではない。国政政党が新たな人材供給源として開設したり、著名な首長が議会内に配下を送り込む目的で始めるなど、まるで雨後のたけのこのように生まれている。その多くは党派色や開設者の思惑が色濃いもので、集まる塾生もとにかく議員になりたいといった自分ファーストの人たちが目立つ。政治家になるための便利な近道であるかのように捉えている向きもある。寺島さんらが手がける地域政策塾とは似て非なるものといえるが、政治塾の中にはキラリと光るものもある。
「真剣に(地方)政治に臨む人を1人でも多く地方議会に送り込みたいと思い、立ち上げました。政党やイデオロギーとは無関係で、何らかのグループをつくることが目的でもありません」
こう語るのは、長野県佐久市の飯島雅則・前市議。2013年4月に佐久市議となった飯島さんはその1年後に、周囲を仰天させる行動に出た。議員になって間もない新人でありながら、1人で地方議員を養成する政治塾「真選組」を旗揚げしたのである。こんな経緯があった。
佐久市の教育施設課長を務めていた飯島さんは2012年、市政のあり方にどうにも納得がいかず、定年の2年前に市役所を退職。翌2013年の市議選への出馬を決意し、フェイスブックで知り合った住民たち5人で活動を開始した。政党や組織・団体、地域などのバックアップはなく、徒手空拳での決起だった。
飯島さんはそれまで選挙とは無縁の日々を送っており、仲間となった人たちも同様だった。選挙のド素人たちが集まり、手探りで運動を展開した。結果は「吉」と出た。上から13番目の得票で初当選した。といっても市議選そのものはきわめて低調で、定数28ながら立候補者はわずかに29人。一時は無投票になるのではと思われたほどだった。
市の幹部職員だった飯島さんは職務上、市会議員と頻繁に接してきた。そのため議会や議員の実態も分かっているつもりだったが、実際に議会の中に入ってみてびっくり仰天してしまった。飯島さんは議会での議論の内容の乏しさに改めて強い危機感を抱き、「議会で活発な討論ができるようになるには、議員になる前の準備が大切だ」と痛感した。そうした思いが飯島さんの中でふつふつと煮えたぎり、政治塾の開設につながったのである。そこにはもうひとつ別の要因も加わっていた。特定の課題の解決のために議員になった飯島さんは、当初からその問題を手がけて1期ですぱっと身を引くつもりでいたのである。飯島さんはこう語る。
「議員になることが目的ではなく、より住みやすいまちにするために真剣に政治に取り組む“志”を持った議員を少しでも増やしたい、そして、住民の皆さんにも議会への関心を少しでも高めてもらいたいといった思いで真選組を立ち上げました」
受講料なしの手づくり政治塾「真選組」の成果と課題
2014年4月に全国的にも珍しい政治塾「真選組」が産声を上げた。第1回目の勉強会には佐久市のみならず、長野県内各地から39人が馳(は)せ参じた。冒頭、会を主宰する飯島さんが「真選組」立上げの主旨を説明し、その後、「議員になったら何をしたいか」をテーマに参加者同士がディスカッションした。この日、参加者に配布された資料は「市議会ガイドブック」と「1年間の活動記録」の2点で、いずれも飯島さんの自作によるオリジナル資料だった。
勉強会は2か月に1回のペースで開かれた(インタビュー記事参照)。配布資料は主に飯島さんの手づくりで、講師役も著名な政治家や学者ではなく、地元の方たちが務めた。受講料は徴収せず(当初は1,000円)、当日の飛入り参加も自由だった。2016年11月の第15回目の勉強会が最終回となり、翌年4月の佐久市議選に立候補を決意した3人の塾生が決意表明し、参加者からの質問に答えた。
飯島さんは2017年4月の佐久市議選に出馬せず、公言していたとおり1期で議員活動に終止符を打った。定数が26となった市議選には31人が立候補し、その中に真選組の塾生3人も加わった。結果は当選1人に落選2人となり、飯島さんはがくぜんとした。この人ならば、と期待していた人物があと一歩、及ばなかったからだ。このほかに真選組の塾生で議員選にチャレンジしたのは、諏訪市議選に1人(当選)と上田市議選に2人(ともに当選)。
真選組の第1期はこうした結果を残し、いったん幕を閉じた。そして、今年8月から第2期の真選組がスタートする予定となっている。住民自治の裾野を広げる、地道で地味な活動が再開されるのである。