2018.07.25 なり手不足
議員のなり手不足 ──『町村議会のあり方に関する研究会報告書』について(その5)──
議会権能拡充を相殺する社会状況の変化
もっとも、この沿革論は直感的にいうと不思議である。権能が拡充すればやりがいも増大し、議員のなり手が増えるようにも思われるからである。むしろ、実態としては、社会状況の変化の中で、町村議会の実際的な役割又はやりがいが低下し、町村議員の実質的な権力が低下しているからかもしれない。つまり、かつての町村議員は、制度的には権限は小さかったとしても、町村社会・共同体において、地域の名士として、実質的に大きな力と威信を持っていたのかもしれない。
農業社会であれば、人々の生活は農村共同体(=自治体)に依存し、それを差配する議員は、大きな存在であった。また、農村共同体の近代化のための開発をするにも、議員などの農村共同体の有力者の存在感は大きかった。しかし、社会状況の変化で、住民にとって、自治体という共同体に依存する生活が減少すれば、議員の存在意義も低下しよう。それは、多少の権限・権能拡充では、代償できないものであろう。なぜならば、町村という自治体自体の影響力と存在感が低下しているからである。
議員身分の規制強化
第2の議員身分の規制強化は、特に、地方自治法施行後早期において強化されたという。もっとも、このようにいってしまうと、規制強化をしてもかつては議員のなり手不足は表面化しなかったということになるので、『報告書』の立論としては困ることになるかもしれない。とはいえ、当初の社会状況の下では、厳格な身分規制が議員のなり手不足に直結しなかったとしても、近年の社会状況の変化によって、身分規制が議員のなり手不足の要因として浮上してきたということになるのだろう。とするならば、社会状況と身分規制との相互関係を分析しなければならないことになる。ともあれ、沿革は以下のとおりである。
1つには、兼職禁止である。当初は、同一自治体の有給職員との兼職や、国会議員との兼職は禁止されていたが、それ以外は可能であった。つまり、他の自治体の職員との兼職や、都道府県・市町村議会議員相互の兼職は可能であった。また、『報告書』はあえて言及を避けているが、市町村長と都道府県議会議員の兼職も可能であった。しかし、執行機関と議決機関の混同を避けるため、あるいは、議員の職務の繁忙などを理由として、兼職規制が強化されていったのである。
2つには、請負禁止である。もともと、市制町村制の下で請負禁止が規定されていたが、請負契約の多くは競争入札に付されている、除斥の制度がある、著しい弊害を伴わない限り幅広い人材を求めるべき、などの観点から1946年にいったん廃止された。しかし、その後、契約・財産の取得なども議決事件にしたことに鑑みて、議員活動の信用を高める趣旨から、請負禁止が再導入された。
もっとも、これらの諸点も直感的にいって、あまり説得的ではない。もともと、同一自治体内の行政職員との兼職は禁止されていた。端的にいって、議員のなり手不足に悩むような過疎圏の町村において、他の自治体の職員が、地域住民として多数存在するかは、大いに疑問である。せいぜい、県費負担教職員の小中学校の教員や、府県警察職員として駐在所に赴任する警察官がいるぐらいであろう。こうした中立性を特に要請される県職員が町村議員になるべきとは思えない。あとは、長距離通勤している近隣市町村職員ぐらいであろう。
また、請負禁止によって、自営業者・会社経営者・個人事業主が議員にならないのかといえば、必ずしもそうではない。むしろ、現実には、農家・年金生活者と並んで、自営業者・会社経営者が議員の重要な母集団となっているからである。また、請負事業者が、当該自治体の業務を遂行するのであれば、実質的には行政職員の任務と何ら変わらないのであって、同一自治体の行政職員との兼業が認められないのであれば、請負禁止もまた平仄(ひょうそく)を合わせて当然といえよう。