2018.04.10 政策研究
災いを福に転じた北海道北竜町の「ひまわりの里」
元日本経済新聞論説委員 井上繁
ヒマワリは英語では「サンフラワー(太陽の花)」だが、日本語をはじめ、スペイン語、フランス語などでは「太陽に向かって回る花」という意味の名前が付いている。だが、「ひまわりの里」づくりを進める北海道北竜町の有馬一志住民課長は「太陽の方向に首を回すのはつぼみのときだけ。一度花が咲くと99%は東に固定する」という。
こんな性質を熟知した上で北竜町が造成したヒマワリ畑の「ひまわりの里」は東向きの緩やかな斜面に広がっている。7月下旬の最盛期には、23ヘクタールの丘で150万本が一斉に花を咲かせる。同町ひまわり観光協会は例年7月中旬から8月中旬まで「ひまわりまつり」を催している。
2017年の「ひまわりまつり」には、前年を33.8%上回る延べ35万6,000人と過去最高の観光客が訪れた。雨の日なども含め1日約1万人と町の人口の5倍の観光客が訪れた計算である。ひまわり観光協会は、台湾などアジアからの観光客が、前年を大幅に上回ったのが記録更新の理由とみている。北海道観光振興機構が、ともに客の多い台湾と韓国からの観光客が会員制交流サイトに書き込んだ投稿を基に、道内の各観光地に対する評価を点数化する調査を初めて実施したところ、「ひまわりの里」は台湾の観光客の評価が最も高かった。
ヒマワリによるまちづくりは、1979年に農業視察に出かけた北竜町農協(当時、現JAきたそらち北竜支所)の職員が旧ユーゴスラビア(現セルビア)のベオグラードの空港周辺に広がるヒマワリ畑の美しさに感動したのがきっかけである。話を聞いた同農協女性部は環境美化とヒマワリ油の特産化を目指し、約500世帯の農家にヒマワリの「1世帯1アール作付」を呼びかけた。農協は、ヒマワリ搾油機を導入し、農家にヒマワリ油と、肥料としての油かすを還元した。当時は現在の4分の1の6ヘクタール程度だった。
農協だけでなく北竜町や北竜町商工会もヒマワリの活用に知恵を絞った。町は1982年にヒマワリを町花に制定した。商工会もヒマワリを活用した新商品を開発し、商店はそれをあしらった統一看板を取り付けた。
町が観光の目玉として、国道沿いの畑を借りて「ひまわりの里」を造成したのは1989年である。「ひまわりの里」と関連施設は、現在、北竜町ひまわりの里の設置及び管理に関する条例に基づいて設置、管理している。町は1990年から「サンフラワーパーク」構想を進め、温泉利用の保養センター、物産販売や飲食の機能を持つパークセンター、宿泊施設などを整備した。
今日に至るまでの道のりは平坦ではなかった。同町は2度にわたって大きな自然災害を受けている。最初は1988年の集中豪雨である。8月25日から26日にかけて総雨量が422ミリを超す豪雨が襲い、ヒマワリ畑の半分近くが大きな被害を受けた。その直後に激甚災害の指定を受け、約89億円の災害復旧事業が行われた。集中豪雨の後、「ひまわりの里」の構想が練られたのは、10年近く女性が中心となってヒマワリづくりに取り組んできた経験と、彼女たちにそれを再興したいとの熱い思いがあったためである。
2つ目の災害は、2001年6月29日に発生した道内最大級(当時)の竜巻である。これによって、「ひまわりの里」で1.5ヘクタール、7万5,000本、隣接地で北竜中学校の生徒たちが栽培していた「世界のひまわり」の畑で0.5ヘクタール、9,000本の茎が倒れ、葉がちぎれた。竜巻の翌日には町民200人が「ひまわりの里」周辺に散らかったごみを拾い、葉にかぶった土を洗い落とした。これには延べ400人を超える人たちが参加した。その結果、倒れた茎は起き上がり、ちぎれた葉の間から新しい葉が生え出した。「世界のひまわり」の畑では4,000本の種をまき直した。こちらは「ひまわりまつり」が終わった8月末から9月末にかけて花をつけた。
ヒマワリの回復力や強い生命力は、町民に希望と感動という“福”をもたらした。2つの災害を乗り越え、災いを福に転じたのは、町民たちが日頃ボランティア精神や団結力を培ってきたたまものである。