2017.09.25 議会改革
『地方議会に関する研究会報告書』について(その27・完)
議会・議員の職責規定
『報告書』の末尾では、議会基本条例等において、議会・議員の職責等を規定する取組みが見られるとされている。議会及び議員の活動内容などが住民に対し明確化され、一定の基準が示されることにより、自らの活動等に対する説明責任の観点から意義を指摘することができるという。
『報告書』のいうとおり、そもそも、議会や議員は何をすべきかに関して、住民との合意ができているわけでもなければ、基準も存在しない。基準に収まらないからこそ、公選職政治家の仕事であるともいえる。あるいは、基準をつくることが政治家の仕事であって、基準どおりに仕事をするのは行政職員の仕事といえるかもしれない。とはいえ、何をなすべきかの合意がない以上、住民に対する説明責任を果たすことも難しいだろう。なぜならば、何をなすべきか決まらない以上、何をなしても、住民から批判されるからである。とはいえ、信託者である住民が、代表である議員に対していろいろな要望・期待・批判をするのも、もっともである。であるならば、議会基本条例に職責規定を設けても、ほとんど役に立たないかもしれない。
おわりに
以上で、長々と続いた『報告書』の検討を終えることにする。最後に、なぜ『報告書』について詳細な検討をしてきたのかについて、補足説明をすることとしよう。
一般に、国・自治体が設置する審議会・研究会・勉強会などは、いわゆる「隠れ蓑(みの)」であって、事務局である行政機関のシナリオに沿って動くものである。成果物としての答申・報告書なども、所詮は事務局の意向が強く反映されているだろう。その意味で、当該行政機関が考えている、又は、宣伝したい中身を知る上では、政治的には有用かもしれない。しかし、そのような答申・報告書を分析しても、それほど学術的には意味がないかもしれない。
とはいえ、社会科学は人間社会の行動に関する学問であり、人間の行動を動かす極めて重要な要因は、言葉であり、ものの考え方であり、論理構成である。であるならば、答申・報告書がいかなる言葉を使い、いかなるものの考え方を提示するのか、いかなる論理構成を提供するのかは、実際の人間行動にも影響しうるものであるし、また影響させようとする人間行動そのものであり、社会科学的にも重要な意味を持っている。「地方議会」(2)のあり方に関する言葉、考え方、論理構成を問うことは、議会の将来を検討する上でも役立つものなのである。
(1) 『報告書』そのものに忠実に表現すると、「Ⅵ」とローマ数字が裸で記載されており「第Ⅵ章」という表記ではない。しかし、本稿では、単に「Ⅰ」「Ⅱ」……では分かりにくいので、章立てとみなして、「第Ⅰ章」「第Ⅱ章」……と表記する。その下位項目は「1」「2」……であるが、「第1節」「第2節」……と表記する。さらにその下位項目は、(1)①となっている。
(2) そもそも筆者は、通常は「地方議会」という用語を用いず、「自治体議会」と記述している。「地方議会」という用語自体に、ものの考え方が示されている。