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2017.08.25 議会改革

『地方議会に関する研究会報告書』について(その26)

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自己評価に当たっての課題

 「② 自己評価の導入に当たっての課題」では、自治体議会の自主性・自律性から、一定の方法で評価を義務付けるのではなく、議会の有する自律権に基づいた仕組みが適切であるとしている。『報告書』では、それゆえに、評価対象に関しても、大まかには議会運営・情報公開・住民参加などが考えられるものの、詳細な評価項目に関しては、各議会で主体的に選定すべきものとしている。
 いわゆる自己評価には、3通りの理解がある。第1は、外部が評価に関して大きな枠付け・義務付けを行った上で、当事者に自己評価をさせる、という意味での「自己評価」である。とはいっても、枠付け・義務付けられている限り評価をしないという選択肢はないのであって、そこに自主性・自律性はないわけである。もっとも、これを「自己評価」と呼ぶのは、語義矛盾であるともいえよう。
 第2は、外部が評価に関して枠付け・義務付けをしない中で、当事者が自己評価をするものである。どのように自己評価をするか、いつするか、そもそもしないのか、という選択肢があるため、その意味で自主性・自律性が確保される。もっとも、このような純然たる自己評価は、外部の『報告書』などから、とやかくいわれる筋合いのものではないはずである。
 そこで、第3の自己評価が生じる。自己評価をすることを外部から推奨されるが、するかしないか、いつするか、どのようにするかは、あくまで自治体議会の自主性・自律性に基づく。いわば、推奨・説得・勧告・助言された自己評価というものである。『報告書』が採用しているのは、この第3のタイプの自己評価である。

評価の客観性

 議会の自己評価であるならば、評価結果はお手盛りの広告宣伝になることは、充分に想定されることである。そのような評価結果では、住民などから信頼を得ることはできない。そこで、『報告書』では、「(2)評価の客観性の担保」として、住民の信頼確保の観点から評価の客観性を期待している。もっとも、自己評価は、自分自身で点検=「観」るものであり、論理必然に「主観」にしかならないはずである。「客」に「観」てもらうためには、第三者という「客」が必要であり、それは自己評価では無理にも思われる。しかし、『報告書』は、自己評価の客観性を目指すのである。
 端的には、客観性担保として、住民代表機関としての議会の性格から、住民に委ねればよい、という考え方があり得るし、実際に『報告書』でも紹介されている。しかし、自己評価の標準化・検証を第三者の枠組みで行うことを重視し、外部機関の関与もあり得ると指摘しており、『報告書』はこちらの考えに傾いているようである。もっとも、外部機関が関与したら、やはり自己評価とはいえないだろう。
 客観性のために、『報告書』は基準を期待する。『報告書』は、横並びで相互優劣をつける方式と、最低基準を下回っていない、あるいは標準から逸脱していないことを確認する方式とがあるというが、議会では後者であるとする。では、「最低基準」、「標準」を誰が決定するのかという問題が残るが、『報告書』では必ずしも明示していない。結局、国が示すのであろう。そもそも、そのような「最低基準」、「標準」が存在するのであれば、それは自己評価ではなく、「最低基準」、「標準」を設定した第三者(国?)による第三者(集権的)評価であろう。

ピアレビュー論と議会視察

 『報告書』によれば、第三者の枠組みの参考として、2004年から開始された大学の認証評価制度における「ピアレビュー」があるという。大学の認証評価におけるピアレビューとは、他大学の教員という「ピア(peer:対等者)」が検証を行うものである。大学は「学問の自由」と「大学の自治」の観点から、政府が評価をするのは適切ではないが、自己評価だけではお手盛りの懸念は避けられないということで、他大学というライバルに属するピアに評価してもらうというものである。
 これを自治体議会に適用したら、他の議会又は議員に、当該議会・議員の評価をしてもらうのが、ピアレビューとなるだろう。実際、議会では、他の議会に対する(物見遊山ではない本当の意味での)視察は、よく行われている。他議会を「観」ることは、ピアレビュー的に他議会を評価することであるが、通常は、参考になる「よい評価」の議会を視察に行く。逆にいえば、視察を受け入れることは、他議会から「よい評価」を得ていることを、一般的には推定させる。その意味で、プラス方向でのピアレビューはすでに存在している。ただし、それは、レビューを受ける側からの依頼ではなく、参考にしたいと思って見にくる他議会によって、いわばレビューをする側からの依頼で行われる。
 このように視察(「視察」)として慣行(観光)化している議会ピアレビューは、「悪い評価」又は「並の評価」の議会に対してはなされない。あくまで「光」っている議会を「観」に行くという、元来の意味での「観光」(つまり物見遊山ではない)である。ただ、視察が来ないということは、「悪い」ことを意味するのではなく、「並」であることを意味するだけのこともある。
 また、視察受入れが多いといっても、それはあくまで「事前の評判」、「風評」によって、「先進的」というイメージが伝わってくるときのみである。「名物にうまいものなし」などといわれ、有名観光地に行って失望することは、よくあることであり、議会視察でも同様である。逆にいえば、埋もれた名産、隠れた名店もありうるように、人知れない名議会もあるかもしれない。そもそも、議会は住民のために行動するのであって、全国的に有名になることが目的ではない、もっといえば、「視察」は文字どおり「観光地巡り」のこともあり、別に「先進」議会を視察に行くのではなく、たまたま旅費予算の範囲内で、行けそうな観光地に、たまたま当該「視察」先の自治体があっただけということもある。
 したがって、このような観光化した議会「視察」を超えるピアレビューを考えていかなければならないだろう。『報告書』のイメージを敷衍(ふえん)すれば、議会側から、他の議会の議員に対して、視察・来訪をお願いし、説明して、評価・点検を受けるということになろう。もっとも、「大人」である議員が、呼んでくれた他の議会に苦言を呈するとは考えにくい。せめて、彼我の違いを明らかにするくらいであろう。大学のピアレビューが可能なのは、学者は世間知らずの「子ども」が多く、他の学者の行動を無神経に批判する人が少なからずいるからであろう。しかし、大学教員も「大人」になってくると、お互いにお互いを褒め合うという、談合型ピアレビューになるだろう。議会でピアレビューをしても、お互いにお互いを褒め合うという取引・談合になるかもしれない。

【つづく】


(1) 『報告書』そのものに忠実に表現すると、「Ⅵ」とローマ数字が裸で記載されており「第Ⅵ章」という表記ではない。しかし、本稿では、単に「Ⅰ」「Ⅱ」……では分かりにくいので、章立てとみなして、「第Ⅰ章」「第Ⅱ章」……と表記する。その下位項目は「1」「2」……であるが、「第1節」「第2節」……と表記する。さらにその下位項目は、(1)①となっている。

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