2017.05.25 議会改革
『地方議会に関する研究会報告書』について(その23)
東京大学大学院法学政治学研究科/公共政策大学院教授(都市行政学・自治体行政学) 金井利之
はじめに
これまで22回にわたり、総務省に設置された「地方議会に関する研究会」の最終報告書である『地方議会に関する研究会報告書』(以下『報告書』という)を検討した。今回から「第Ⅵ章(1) 住民参加の充実、住民の信頼確保を図るための地方議会のあり方」を論じることにしよう。今回は、「第1節 住民に対する地方議会の情報発信のあり方」についてである。
情報発信の意義
『報告書』によれば、地方議会の情報発信の意義は、いくつかの箇所に分散して記述されているので分かりにくい。あえて抜き出してまとめれば、以下のような意義が指摘されている。
① 議会と住民の意思疎通を深める(1)(2)
② 議会への住民参加の前提ともなる情報を提供する(1)
③ 住民の信頼確保(2)
④ 住民の関心を高める(2)
⑤ 住民による議会活動のチェックに資する(2)
⑥ ステークホールダーとしての住民に対する報告(2)
⑦ 議会改革(2)
情報発信の限界
もっとも、最大の問題は、これらの意義は相互に矛盾すると考えられることもあることである。住民と議会の意思疎通が深まり、議会の実情が明らかになると、かえって住民からの信頼が失われることもあろう。要は、住民にはとても見せられないような実態があり、見せてしまえば信頼が失われるから、議会からは情報を提供しないし、住民側もあえて「見て見ぬふりをする」という大人の対応をしてきたわけである。その意味では、住民の関心は高くない方が、信頼確保のフィクションを維持することにもなってきた。
情報が提供され、議会の実態が暴露されると、住民の関心が高まり、住民による議会活動へのチェックが強化されることもある。しかし、それは、住民が議会を信頼していないことを前提にする。もちろん、建前としては、住民の関心が高まり、住民が議会をチェックし、その結果、議会活動が改善され、住民の議会に対する信頼が確保される、という連鎖が期待されるかもしれない。しかし、信頼が確保されると、再び住民の関心は低くなり、チェックは弱くなり、議会活動は悪化し、信頼が失われていく、という潮汐(ちょうせき)・波動になるかもしれない。さらには、議会の実態が暴露されると、議会に対する失望と諦観が増し、住民の関心は低くなり、議会活動へのチェックは弱まり、T県県庁所在地であるT市議会のように、選挙をやっても所詮同じような議員が当選し、ますます議会への不信と無関心がまん延することもあろう。
非常に難しいことであるが、情報提供は、あくまで住民の議会に対する不信感を前提にする。そうでなければ、単なる議会側の広告・広報・宣伝にすぎない。為政者側が被治者に対して情報提供によって信頼を確保するのは、権威主義体制・共産主義体制の得意技である。情報提供によって信頼確保がなされるなどは、自由民主主義体制では期待すべきではないのである。しかし、厄介なのは、それでは、為政者である議会側に情報提供するインセンティブがないことである。だから、情報提供をしないし、したとしても綺麗(きれい)事にとどまる。
また、被治者である住民側も、信頼もしていない相手の情報を欲しがるのは、極めて異例のことである。住民は、見たいものだけ見て、聞きたいことだけ聞く。住民が議会不信を持っていて、議会活動を糺(ただ)したいという希望を持っていれば、そのような情報提供を期待する。しかし、これは議会側が提供したい情報とは異なるので、情報の需給は一致しない。さらに、住民には、自分に得になる情報だけを欲しがるのであって、議会をチェックするような情報を欲しがるとは限らない。また、議会不信を持っていたら、通常はそのような議会には無関心となり、そもそも情報を欲しがらない。
情報提供の充実は、一応、建前論としては否定できない意義を持つように思われる。しかし、その内実は、極めてぜい弱なものなのである。