2017.04.10 政策研究
市民が誇り、育成する太宰府市の市民遺産
元日本経済新聞論説委員 井上繁
「大宰府」は古代の役所を意味する。その名を市名にしている福岡県太宰府市には大宰府政庁跡をはじめ、太宰府天満宮、大宰府学校院跡など史跡や文化財が多い。市内には、国指定の特別史跡3件、史跡5件があり、いずれも文化財に指定されている。これら国指定史跡の総面積は4.84平方キロメートルで、市の面積の16.4%を占めている。
一方、市内には史跡や文化財に指定されていなくても、古代からの歴史を引き継ぎ、後世に伝えていこうとする取組みや人々の暮らしぶり、その象徴としてのモノやコトなどの文化遺産がある。同市は、すでに市民が持っている、あるいは市内で今後発見するかもしれない太宰府の物語や、それを表している文化遺産、これらを育成していく活動を「市民遺産」と名付けている。
世界遺産や日本遺産、国指定の文化財などは権威ある機関が“お墨付き”を与える制度である。これに対し、市民遺産は、これとは逆の発想で、市民が提案し、市民団体や市などで構成する第三者機関の「景観・市民遺産会議」が認定し、最終的には市が登録している。第三者機関の会議は公開し、提案団体は会議で説明することもできる。つまり、市民からの自主的な提案を市民同士で議論し、市民が決定する仕組みである。
これによって、市民が地域を見直し、郷土を誇りに思う気持ちが育まれる。話し合いを通じて地域の担い手の育成や、活動の継承につながることを市は期待している。
その後ろ盾になっているのが2010年に制定、施行した「太宰府の景観と市民遺産を守り育てる条例」である。この条例から市民遺産に関する部分を抜き出すと、「市長は、(略)市民遺産の育成について自主的な活動を行う団体を規則で定めるところにより、景観・市民遺産育成団体として認定することができる」(33条1項)、「景観・市民遺産育成団体は、景観・市民遺産会議(略)に対し、市民遺産を提案することができる」(29条1項)などと定めている。
条例制定後、これまでに12件が市民遺産に認定された。そのいくつかを見ると、辰山(ときやま)会による「太宰府における時の記念日の行事」は、毎年6月10日の「時の記念日」に、都府楼跡を舞台にして催している。
「芸術家 冨永朝堂」は市内の文化遺産を来訪者に案内しているNPO法人歩かんね太宰府が提案した。冨永朝堂は木彫りの名匠である。太宰府天満宮延寿王院前「神牛」、学業院中学校「宮村翁像」、同「宮村講堂板額」や、アトリエ「吐月叢」などに込められた朝堂の熱い思いや、氏の感性を磨いた歴史や自然豊かな太宰府の姿を来訪者に説明している。
「太宰府の絵師 萱島家(かやしまけ)」は幕末から続く町絵師の家系である。掛け軸や絵馬など太宰府市内外に多くの作品を残している。絵師萱島家保存会は、萱島家4代、5人の作品群とその物語を紹介している。
「太宰府の木うそ」は、毎年1月7日の夕刻に行われる太宰府天満宮の鷽(うそ)替え神事に用いられる。その製作技術、原木の栽培、後継者の育成を行い、伝承していく取組みである。伝統的な技術を継承している太宰府木うそ保存会が提案した。
市民遺産とは別に、同市には数多くの文化遺産がある。文化遺産は、市民や地域又は市が、将来の世代に伝えていきたいモノやコトである。すでに5,300件に上る目録を作成している。これらは市民遺産の予備軍であり、この取組みの裾野が広いことを示している。
次の世代に残したい宝物を市民などの提案で発掘する同様の取組みとしては、北海道の北海道遺産や岩手県遠野市の遠野遺産などがある。前者は52件、後者は149件が登録されており、歴史もある。比較的新しいところでは、新潟市の市民文化遺産、静岡県島田市の市民遺産などがある。
文化財行政の経験が長い城戸康利太宰府市教育委員会文化財課長は「条例までつくったのは太宰府市が最初ではないか」という。その後、茨城県龍ケ崎市が2015年度に市民遺産条例を制定、施行しており、市民遺産に関する条例制定の動きは静かに広がっている。