2017.03.27 議会改革
『地方議会に関する研究会報告書』について(その21)
中選挙区指向
前回触れたように、比例代表制を採用するとしても、都道府県議会の場合には、選挙区の設定の問題が存在する。市区町村議会の場合には、政令指定都市を除けば、原則として全域一区であるから、選挙区割が比例代表制の採用に応じて、求められるとは限らない。
ともあれ、『報告書』は、選挙区を設定することで、有権者の実効的な選択の観点から、有権者が候補者を把握しやすくなり、有権者と議員との距離が近くなる、と指摘している。
もっとも、市区町村議会でも、地区代表的な側面は存在しているが、それぞれの議員・候補者が、各地区を地盤にしてすみ分けている関係で、選挙区割が制度的に求められることは少ないともいえる。地区ごとに地盤が存在し、有権者は地区を地盤とする数人の候補者と、全域から広く薄く集票する数人の候補者から選択を行っているのであって、すべての候補者から満遍なく選択しているわけではないからである。つまり、制度上は、全域一区の超大選挙区であっても、事実上は選挙区割がなされている。しかも、広く薄く集票する候補者の当選可能性も許容するのであって、むしろ、選挙区割を制度的に行うより、民意の多様性に配慮できているともいえよう。
現実に問題になるのは、超大選挙区の下で、候補者の地区・地盤が明確ではなく、あるいは、少なくとも有権者が自身の地区・地盤の候補者を認識できないときである。この場合には、例えば定数49であれば、50人を超える候補者から1人を選択しなければならず、ほとんど選びようがないということになる(第23回で触れた「ジャムの法則」)。あらかじめ選挙区割をしておけば、選択肢を適度な数に制度的に絞り込めるのである。
したがって、小選挙区制はもちろん、定数が著しく小さくなることも、望ましくないというのが『報告書』のスタンスである。適度な数に絞り込むのが目的であって、極めて少数に絞るのではない。定数の小さな選挙区は、「新人が立候補しにくい」上に「選挙人の選択の範囲が狭くなる」だけでなく、「死票が多くなる」として、批判的である。となると、現在の都道府県議会に広く見られる定数1の小選挙区や定数2の選挙区などは、むしろ合区すべきという結論が、『報告書』の行間には含意されていよう。
超大選挙区の分割
政令指定都市以外の市区町村は、通常は全域一区の選挙区である。特に人口規模の大きな市区では、総定数が極めて大きな超大選挙区となる。例えば、世田谷区議会・練馬区議会・大田区議会は定数50である。船橋市議会が定数50、姫路市議会が47、豊田市議会が45、川口市議会が42、松戸市議会が44、倉敷市議会が43、といった具合である。確かに、候補者が50人以上も並ぶと、誰を選択してよいかも分からないかもしれない。
しかし、これは制度的に選挙区割をするまでもなく、各候補が自身の居住地をアピールすればすむだけかもしれない。選挙戦で有利に作用するのであれば、候補者は自身の地区代表性を選挙運動で売り込むであろう。逆に、全域から広く集票しようと思えば、地区代表性をアピールすることは避けるだろう。つまり、その市区町村の有権者が、地区代表性を期待するかどうか、に左右されるのである。地区代表性を期待しない有権者に、無理矢理選挙区を設定するのは、代表性・反映性という観点からは無理がある。地区代表性を期待する有権者が多ければ、候補者が自然とアピールすることになる。結局、選挙区制を設定することの意義はあまりないのかもしれない。
ただ、現実の投票のときを考えれば、記載台の前に立って、鉛筆を持って候補者の名前を眺めると、多数の氏名が並んでいるだけという状況に直面する。このとき、政党については表示があるから、政党を目印に候補者を選択することはできる。しかし、地区名は表示がない。したがって、地区をメルクマールに候補者氏名を自書しようとするときちんと記憶していなければ、誰を選ぶべきか分からなくなってしまう。その意味では、地区を明示させる手はあるかもしれない。もっとも、有権者が地区にこだわりがないのであれば、全く無用な情報である。しかし、あって困るものではない。