2017.03.27 政策研究
第10回 地域経営の軸としての総合計画
都市宣言型(非核都市宣言など)でもなく、市民憲章型(自然を大事にしようなどの数行のもの)でもなく、根本的・長期的な地域経営像(地域政策と組織政策両者を含む)が明確になっている。地域政策だけではなく組織・権限など自治基本条例の要素が含まれていることに注意していただきたい。この都市憲章を議会の議決事件とすることは当然である(将来には、住民投票も必要になるであろう)。それの下位体系として自治基本条例、総合計画等が配置される。
~理解をさらに深めるために~
① 進展する多様な住民参加の手法を活用する。
② PDCAサイクルは重要であるとしても、地域経営全体におけるその発想は行政の論理に近づくことを確認する(討議と決定の重要性を認識する)。
③ 総合計画をめぐって議会からの政策サイクルを作動させる(総合計画に基づく監視・政策提言、及び総合計画自体の見直し提案)。
④ 地域政策や組織政策の現代的課題を探る。
(1) 総合計画策定には、地域経営上問題もないわけではない。計画先行型であり、年々変動する歳入・歳出予測を踏まえた予算作業、換言すれば想定される歳出額を基準とした税率の決定作業という自治的発想を軽視する問題もある。基準税率を超えることも下げることも可能である。しかし、基準税率にこだわらない発想を一般化する必要はあるものの、大幅な変更は事実上困難であるからである。
(2) 諸外国でも自治体計画はある。例えば、総合計画(アメリカ)、開発計画(イギリス)、都市基本計画(フランス)、地区詳細計画(ドイツ)である。これらは、地域開発計画、都市計画、土地利用規制や資源利用の計画であって、日本の自治体計画のような福祉や教育を含み込んだ総合計画ではない。
自治体計画の歴史をたどれば、戦後に限っても、市町村合併の市町村建設計画、その終了後の総合的長期計画の策定、こうした動向とともに総合開発計画推進のために都道府県が市町村総合計画を主導することもあった(新川 1995:238-244)。なお、基本構想の法定(1969年)は、革新自治体の台頭による市町村の「暴走」を抑えるためであり、それが「市町村の政策自立を逆にうながしはじめた」という「歴史の逆説」を強調する議論もある(松下 2005:158-163)。
(3) 多治見市は、総合計画根拠を明記した市政基本条例を制定するとともに、財政状況の健全化を目指して財政規律に関して規定した全国初の「健全な財政に関する条例」を制定している(2007年)。今日の自治基本条例や総合計画根拠条例には、多治見市の健全な財政に関する条例の主旨や内容、及び自治基本条例で一般的に規定した情報共有や住民参加に関する総合計画策定に当たっての具体化が明記されている。その意味で、多治見市方式をさらに深化させることになる。
(4) 1971年に伊藤三郎市長が誕生し、「川崎市都市憲章条例案」を議会に二度提案したが、どちらも否決された(1972、1973年)。当時の革新自治体の理念・政策が結実していることはうかがわれる。
【参考文献】
◇磯村英一(1978)『都市憲章』鹿島出版会
◇江藤俊昭(2011)『地方議会改革』学陽書房
◇江藤俊昭編・自治体学会議員研究ネットワーク(2015)『Q&A 地方議会改革の最前線』学陽書房
◇川崎市都市憲章起草委員会(1973)「川崎市都市憲章(条例)原案」
◇川崎市市民文化局コミュニティ推進部協働・連携推進課(2016)「『川崎市都市憲章(条例)』について」
◇神原勝・大矢野修編(2015)『総合計画の理論と実務――行財政縮小時代の自治体戦略』公人の友社
◇黒沼稔(1975)「都市憲章条例の構想――川崎市での試み」ジュリスト増刊総合特集『現代都市と自治』
◇公益財団法人日本生産性本部(2016)「『基礎的自治体の総合計画に関する実態調査』調査結果報告書」
◇小林直樹(1982)「わが国における都市憲章の可能性」都市問題(1982年10月号)
◇佐々木毅(2009)『政治の精神』岩波新書
◇全国革新市長会地方自治センター編(1990)『資料 革新自治体』日本評論社
◇逗子市都市憲章調査研究会(1992)「“逗子市都市憲章条例”を考える(報告書)」