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2016.12.26 議会改革

『地方議会に関する研究会報告書』について(その18)

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東京大学大学院法学政治学研究科/公共政策大学院教授(都市行政学・自治体行政学) 金井利之

はじめに

 これまで17回にわたり、総務省に設置された「地方議会に関する研究会」の最終報告書である『地方議会に関する研究会報告書』(以下『報告書』という)を検討した。「第V章(1) 地方議会における政党及び選挙制度のあり方」の「第1節 地方議会における政党等のあり方」に即して政党・会派について論じてきた。さて、続いて『報告書』では、政党に関連して選挙制度を取り上げている。そこで、「第2節 現行の選挙制度が有権者及び議員の行動に及ぼす影響」を論じていきたい。

選挙制度工学?

 政党と選挙制度を関連づけて論じるという発想自体は、1990年代の国政レベルの「政治改革」=「選挙制度改革」を導いた政治思想である。ある制度が人間の行動を規定する要因とすると、人間の行動を変えようとすれば制度を変える必要がある。そして、人間の行動をよい方向に改革しようとすれば、そのように設計された制度に改革すればよい、という発想である。これは広い意味で制度論であるが、制度改革によって人間の行動をあたかもモノのように制御しようという「改革論」は、人間による自然に対する支配という工学的発想を、人間による人間や社会の支配に拡大しようという人間工学・社会工学である。特に選挙制度に焦点を当てるという意味では、選挙制度工学である。
 もっとも、人間の行動が制度で左右されるのであれば、制度改革をする人間行動も制度で左右されているはずである。では、「よい」方向に制度改革を設計できる人間行動などは、既存の「悪い」制度の下で存在しうるのか、という疑問も生じよう。そもそも、既存制度に対して疑問を持つ人間が発生すること自体が、制度設計に不備があるからであり、人間に疑問を抱かせないような「完全」な制度を設計すれば、人間の疑問を持つという意思の自由さえ支配できるので、制度「改革」論も生じないだろう。工学的思考とは、疑問を持たせてはいけないのである。しかし、そのような制度はあり得ない。選挙制度工学では、制度によって左右される有権者や政治家に対して、既存の「悪い」制度に左右されずに新しい「よい」制度を設計できる超越的な改革者が存在する、という哲人・聖人がいるということなのであろう。
 しかし、常識的に考えて、そのような超人的な哲人・聖人がいるはずはない。とするならば、自称「よい」方向に制度改革を設計する人間も、所詮は現状の制度で行動を「悪い」方向にゆがめられている人間でしかない。そのような「悪い」人間が設計する制度改革の帰結は、どうせロクでもないものになるだろう。
 実際、1990年代の選挙制度工学=小選挙区制度「改革」によって、国政の政党が「改善」され、有権者の行動も「改善」されたのかといえば、必ずしもそうとはいえないだろう。結局、生じた事態は、無内容なスローガンである大言壮語を繰り返すデマゴーグ的なポピュリスト政治家の跋扈(ばっこ)である。その結果、政党内(与党政調部会など)及び政党間(与党内協議・議員連盟・国会審議など)における良識ある議論は停滞した。第一党への少ない集票での過剰な議席配分によって、選挙における国民の選択肢は実質的に消滅した。前世紀末の愚かな日本人の選挙制度工学の所為で、日本の国政は劣化しつつある。
 したがって、『報告書』が、このような選挙制度工学の発想を持っているならば、問題を孕(はら)むものといえよう。とはいえ、国政において選挙制度工学がまん延しているときに、国レベルの研究会が、あるいは、選挙制度・政党助成制度を所管する旧自治省=総務省が、そうした発想から、自由であることは難しいかもしれない。そもそも、「成功」した選挙制度工学は、人間の自由意思への支配であり、1990年代の選挙制度改革が「失敗」したという認識自体を抑圧するものである。選挙制度工学が「成功」するときには、制度改革が「成功」したと人間に思い込ませること自体を含むからである。国政が劣化したとは思っていないのかもしれない。

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