2016.09.26 議会改革
第4回 二元的代表制の「的」の意味を考える――二元的代表制=機関競争主義(上)――
山梨学院大学大学院社会科学研究科長・法学部教授 江藤俊昭
今回の論点:二元的代表制の意義を確認しよう
地方政治の台頭の現れの1つが、首長主導型民主主義である。もう1つは、本連載で主題的に検討する、討議を重視した二元的代表制=機関競争主義である。
現在の地方自治制度では多様な地域経営手法が想定されており、まさに、どのような地域経営手法を選択するかが問われている。換言すれば、現行地方自治制度は自動的に「ある1つの地域経営手法」を定めているわけではない。自治体による主体的な選択が不可欠であり、その自覚が必要である。この「選択」を考える場合、様々な切り口が考えられる。ここでは、今日流布している二元代表制という用語を手がかりに、地域経営手法の選択の意味を確認したい。
なお、本連載では二元的代表制=機関競争主義という用語を用いている。その際の「的」は、議院内閣制の要素が挿入されていることにとどまらず、政策過程全体にわたって議会と首長等が政策競争すること、また政策過程全体にわたって住民が政治行政に参加(統制)することが含まれていること(地方政治の論理に由来)を強調したいためである。
以下、2回に分けて検討する。
① 二元(的)代表制の広がり
② 二元的代表制=機関競争主義の意味
③ 「二元代表制」の強調の問題点(対立の激化、住民参加の軽視)
④ 地方政府改革論(一元代表制の提案)の現状と課題
1 「二元代表制」という用語の広がりと課題
「二元代表制」という用語が広がっている。中学生の教科書『新しい社会 公民』(東京書籍、2012年)に議会改革のトップランナーである北海道栗山町議会が実践している議会報告会等が写真入りで紹介された。そこでは、日本の地方自治制度を二元代表制として説明している。
新聞報道を見ると、二元代表制という用語の利用が広がったのは、最近であることが分かる。例えば、読売新聞社データベース(ヨミダス歴史館)で検索をすると、2000年、01年各0件だったものが、02年5件登場、その後一桁台で推移、05年10件となるが、大幅に増加したのは10年40件、11年118件である。その後、件数としては減少している。10年、11年の増加は、統一地方選挙にその要因があるが、それだけではなく、首長主導型民主主義の登場も増加の要因だと思われる。竹原信一前阿久根市長とまでとはいわないが、橋下徹大阪市長(大阪府知事、2008年)や河村たかし名古屋市長(2009年)の誕生、及びその地域経営手法を想定するとよい(大阪維新の会、減税日本の発足(2010年)、それらの選挙での勝利(2011年))。なお、この期間「二元的代表制」という用語の利用は02年と03年の各1件にすぎない(朝日新聞データベース(聞蔵Ⅱビジュアル)も同様の傾向)。
二元代表制という用語は、議会基本条例の中で規定されるようになった。その最初が三重県議会基本条例である(2006年)。三重県議会は、突然この用語を規定したわけではなく、それまでも新たな議会創造、議会改革のために「二元代表制」という用語を活用していた(例えば、三重県議会二元代表制における議会の在り方検討会『二元代表制における議会の在り方について(最終検討結果報告書)』(2005年))。その後今日では、多くの議会基本条例において「二元代表制」を規定するようになっている。
なお、地域主権戦略大綱(閣議決定、2010年6月22日)は、二元代表制を伝統的な憲法解釈の1つとして位置付けている(同様の指摘は、地方行財政検討会議の議論参照)(1)。
二元代表制は今日流布している用語だといえる。今日の議会改革は、二元代表制をスローガンに据え展開されてきた。そこでは、強力な機関である首長(専決処分権、再議請求権等)とは別の強力な機関である議会の作動が目指された。まさにそれぞれが「住民代表機関」として、議事機関(議会)と執行機関(首長等)の対立が「住民自治」の中心に構想されるに至る。議会改革にとって、この広がりは画期的なものとして評価されるべきである。
とはいえ、ここに今後の「住民自治」を考える上での問題が喚起される。二元代表制の議論には、住民自治を考える上で看過できない論点を含むものがある。地域経営手法の議論と実践を早めに住民自治のレールの上に戻すために、以下、単純化して議論を進めることにしたい。本連載の立場と共通する意味で「二元代表制」を用いている論者がいる(筆者も含めて)ことも、また単に議会とともに首長を住民が直接選挙するということだけを念頭にしている論者がいることも承知の上で、ボタンのかけ違えを早期に是正することが目的なので単純化のご容赦をお願いしたい。
二元代表制の議論では、「議院内閣制的要素を加味して」と付け加えた上で、議員とともに首長も直接住民が選挙するという民主的正統化が強調される(2)。一方で議会と首長の対等性から、これら両機関が正統性を主張し対立することも想定される(「二元代表制論には、首長単身をも住民代表と正統化することによって、結果的には首長暴走を促進する機能もあった」等)。つまり、極論すれば、議会と首長の対立の激化に着目する立場である。
他方、この議論では両機関の代表性を強調しているがために、住民参加が視野の外に置かれる(「二元代表制モデル」は、首長への住民参加を嫌悪する等)。また、政府形態の分類を念頭に置いているために国政と地方政治の相違が無視・軽視される。本連載では、住民参加なき両機関の飽くなき対立の激化を想定する二元性に注意を喚起したい。
そもそも地方自治論からすれば、二元代表制の用語は自明のものとはいえない。その理由の1つは、従来首長制という用語が一般に採用されていたからである(地方自治のテキストだけではなく、中学生や高校生の教科書でも)。もう1つは、二元代表制と類似した用語である「二元的代表民主制(本稿では単に「二元的代表制」と略記)」との異同を確認しなければならないからである。
「首長制」ではなく「二元代表制」という用語を用いるのは、地方分権時代の住民自治を促進するためであろう。本来、議員だけではなく首長を直接住民が選挙するという価値中立的な首長制という用語に、中央集権制に適合的な首長主導の意味が包含される。地方分権時代には、それとは異なるベクトルでの自治制度、解釈、運用が求められた。その象徴が用語としての「首長制」からの決別であり、「二元代表制」の選択となる。
やっかいなのは、「二元代表制」と「二元的代表制」の関係である(「的」の有無)。「二元的代表制」は、議会とは異なるもう1つの代表機関、政治機関、統合機関として首長を地域経営の担い手として位置付ける用語として1970年代に誕生した。いつの間にか(転換期やその際の文献を明示できないため)二元的代表制の「的」を省略した二元代表制が広がっていった。その転換の意図は明確ではない。