2016.08.10 政策研究
第2回 ヘイトスピーチ解消法及び大阪市ヘイトスピーチ対処条例の検討
6 おわりに――自治体におけるヘイトスピーチ事前抑止の可能性
これまでヘイトスピーチ解消法及びヘイトスピーチ対処条例の内容、特徴及び運用について概観してきた。いずれも、ヘイトスピーチによって、マイノリティが多大な苦痛を強いられ、また地域社会に深刻な亀裂を生じているとの認識を前提に、その解消に取り組む姿勢を明確にしており、特にヘイトスピーチ解消法がその成立後すぐに行政及び司法の判断に影響した点は評価できる。
他方で、ヘイトスピーチ解消法を前提とした自治体の対応(管理する施設の使用許可の判断)については、前述したように法的安定性に疑問が残る。また、ヘイトスピーチ対処条例についても、ヘイトスピーチが行われた後の事後的対応については一定程度の救済を可能にした点は評価できるが、対処条例をつくる以上、ヘイトスピーチの事前抑止も射程に入れるべきではなかったかと思われる。
この点、ヘイトスピーチ解消法は、基本的施策(5条〜7条)としては、相談体制の整備、教育の充実及び啓発活動にしか触れていないが、地方公共団体に対して「地域の実情に応じた施策を講ずるよう努める」ことを求めており(4条2項)、ヘイトスピーチの事前抑止のための施策を講じることについても、その法的根拠を提供している。
もちろん、ヘイトスピーチ解消法を根拠とする施策が憲法上の表現の自由を侵害することは許されないが、前述した横浜地裁川崎支部の本年6月2日決定において、ヘイトスピーチ解消法に定める「差別的言動」が集会や表現の自由の保障の範囲外であると判断されたことに照らせば、表現の自由を不当に侵害することなく事前抑止のための施策を講じることも可能であると思われる。
例えば、自治体が管理する公園、公民館やホールなどの施設の使用に関し、各自治体は施設管理に係る条例を制定しており、利用申請を拒絶することができる場合について定めている。そのような管理条例において、ヘイトスピーチを目的とする利用を拒絶することを明記することもひとつの方策であろう。すでに管理条例において「公の秩序を乱し、又は善良な風俗を害するおそれがあるとき」(公序良俗違反)の利用を拒絶できる旨が規定されている場合には、新たにヘイトスピーチが「許されない」旨を宣言する基本条例を制定し、管理条例の「公序良俗違反」にヘイトスピーチを読み込むことも考えられる。
そして、このような施策が、表現内容を理由とする事前規制であって表現の自由の不当な侵害に該当しないかについては、前記横浜地裁川崎支部が判断したように、「差別的言動」は集会や表現の自由の保障の範囲外にあると考えられ、かつ人格権の侵害に対する事後的な権利の回復は著しく困難であることを考慮すると、その事前の差止めが許容されると解されること、またこの施策が公共空間における「差別的言動」の表現一切を禁止するものではなく、自治体が管理する施設の利用を許可することで「差別的言動」を援助、助長又は促進してしまうことを回避するにすぎないことに照らせば、表現の自由の不当な侵害には該当しないと思われる。
ヘイトスピーチ解消法の前文に述べられているように、ヘイトスピーチは日本社会における民族的マイノリティに属する人々に多大な苦痛を与え、地域社会に深刻な亀裂を生じさせる表現活動である。各自治体が、今般ヘイトスピーチ解消法が施行されたことを契機として、表現の自由に配慮しつつも、人権擁護の観点に照らし、法律の趣旨を十分に生かした施策を講じることを期待する。
〔参考文献〕
◇師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』岩波新書(2013年)
◇芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法〈第六版〉』岩波書店(2015年)
◇曽我部真裕「人権訴訟における民事訴訟の意義 ヘイト・スピーチ裁判を例として」自由と正義67巻6号(2016年)13頁以下
◇小谷順子「アメリカにおけるヘイトスピーチ規制」駒村圭吾=鈴木秀美編著『表現の自由Ⅰ 状況へ』尚学社(2011年)454〜475頁
◇小笠原美喜「米英独仏におけるヘイトスピーチ規制」レファレンス784号(2016年)29頁以下
◇上村都「ドイツにおけるヘイト・スピーチ規制」駒村圭吾=鈴木秀美編著『表現の自由Ⅰ 状況へ』尚学社(2011年)476〜492頁