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2016.07.11 政策研究

世界記憶遺産(世界の記憶)の登録を待つ「命のビザ」

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元日本経済新聞論説委員 井上繁

 バルト3国のひとつ、リトアニアのカウナスに「希望の門 命のヴィザ」と書いた日本語のプレートが門柱に取り付けてある建物がある。第2次大戦中、日本領事館として使用し、現在は、領事館の事実上の責任者だった杉原千畝(ちうね)領事代理の名を付けた杉原記念館として一般に公開している。再現された執務室のいすに座り、机上のインクびんやペンなどを目の当たりにして、外務省の命令に背いてビザにサインし、多くのユダヤ人の命を救った氏の重い決断に思いをはせた。
 1939年9月に第2次大戦が勃発し、ドイツと旧ソ連がポーランドを占拠したため、1万2,000人のポーランド系ユダヤ人は当時、まだ独立国だったリトアニアに避難した。その2か月後に、日本はその頃の首都であるカウナスに日本領事館を開設し、杉原が着任した。しかし、1940年6月に旧ソ連がリトアニアを併合し、ナチス・ドイツがヨーロッパの大部分を支配した。避難した人にとって生き延びるほぼ唯一の手段は、旧ソ連を通って日本を経由し、その先に行くことだった。このため、多くのユダヤ人が領事館を取り囲み、日本の通過ビザの発給を懇願した。
 杉原は外務省に何度も電報を打って掛け合ったが、「最終目的国の入国許可がなければビザを発行するな」という答えしか返ってこなかった。一方、旧ソ連はすべての外国の大使館などに対し閉鎖するように通達した。このままではユダヤ人はナチスの収容所に送られると考え、自らの判断でビザを発行した。旧ソ連の通過ビザが下りるようにソ連領事とも交渉した。「人間に一番大切なのは愛と人道」が氏の信条だった。
 同国を離れる直前に、領事印やビザの用紙などを次の赴任地のドイツのベルリンに送り、ホテルに移ってからもそのロビーでビザに代わる「許可証」を発行した。1940年9月4日にベルリン行き国際列車で出発するホームにも人が押しかけた。それらの人のために、列車が走り出すまで許可証を書き続け、窓から身を乗り出して渡した。リトアニアの杉原千畝記念館の資料によると、発行したビザは2,193通だった。多くの避難者が子どもを連れていた上、これには許可証が含まれていないため、実際に日本を経由して米国などに逃れたユダヤ人は5,000~6,000人に上った。
 杉原は、その後、ベルリン、ブカレスト(ルーマニア)などに勤務し、敗戦とともに旧ソ連での収容所暮らしを強いられた後、1947年に引き揚げ船で祖国の土を踏んだ。帰国後しばらくして、外務省から呼び出しがあり、退職を言い渡された。1992年になって、当時の宮澤喜一首相が国会で「杉原氏の行った判断と行為は、ナチスによるユダヤ人迫害という極限的な局面において人道的かつ勇気あるものであった。この機会に改めてその判断と功績をたたえたい」と述べ、正式に氏の名誉を回復した。
 本稿の事実関係については、子どもとともに夫の赴任先に同行し、領事館内に居住して苦楽をともにした妻の杉原幸子さんが著した『六千人の命のビザ・新版』(大正出版、1993年)を基本とし、一部はリトアニアの杉原記念館の資料や同国内のレリーフの説明などによっている。杉原が出発したカウナス駅1番線ホームにつながる新しい駅舎には、氏のレリーフと、「命のビザ」を発給した事実を説明する日本語、リトアニア語、英語の3か国語による記述がある。現在、リトアニアの首都はヴィリニュスに移っている。桜の木が植わったネリス河畔には、氏が学んだ早稲田大学が2001年に、レリーフや手書きの通過ビザの複製などを埋め込んだ杉原モニュメントを建立した。そこには「身辺に迫る戦争の危機の中にありながら、必死の覚悟と信念を以て、ユダヤ人約6,000名に対して査証を発給し続け、彼らの生命を救った。これは戦争時における輝かしい人道的行為として歴史に記憶され、永く語り継がれるべきものである」と、英語と日本語で書いてある。
 日本では、生まれ故郷である岐阜県八百津(やおつ)町の人道の丘に、杉原千畝記念館、「命のビザモニュメント」や「平和を奏でるモニュメント」などが建つ。同町や文部科学省は、「外交官・故杉原千畝氏の資料」のユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界記憶遺産(世界の記憶)への登録を目指している。その足跡の残るリトアニアや、港に着いたユダヤ人を温かく迎えた福井県敦賀市などと共同歩調をとるのもひとつの方法だろう。

リトアニアの首都ヴィリニュスに早稲田大学が建立した杉原モニュメントの「命のビザ」(実物は岐阜県八百津町の杉原千畝記念館所蔵)リトアニアの首都ヴィリニュスに早稲田大学が建立した杉原モニュメントの「命のビザ」(実物は岐阜県八百津町の杉原千畝記念館所蔵)

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