2016.06.27 議会改革
『地方議会に関する研究会報告書』について(その12)
東京大学大学院法学政治学研究科/公共政策大学院教授(都市行政学・自治体行政学) 金井利之
はじめに
これまで11回にわたり、総務省に設置された「地方議会に関する研究会」の最終報告書である『地方議会に関する研究会報告書』(以下『報告書』という)を検討した。前回は、「第Ⅳ章(1) 多様な層の幅広い住民が議員として地方議会に参画するための方策」の「第1節 地方議会の議員の構成の多様性の確保 (2)議員の多様性確保の意義」の検討をした。『報告書』は、多様性を目指しているのか、住民構成と議員構成の近似を目指しているのか判然としなかったが、ともかく、議員のなり手不足を問題視していることがうかがえた。今回も引き続き『報告書』に沿って、論じていこう。
議員のなり手として考えられない女性
「第2節 勤労者等の立候補を促進するための制度環境の整備」では、「(1)議員のなり手の確保」が重視されている。議員は、〈男性、中高年、自営業者・年金生活者〉に偏っているわけで、逆にいえば、〈女性、若者、被用者〉からのなり手が不足している。前者のグループからのなり手を維持することを前提に、議員のなり手を増やすには、後者のグループからのなり手を増やすしかない。しかし、ここで重要な選択に直面する。女性か、若者か、被用者か、である。
『報告書』の最大の特徴は、女性からのなり手を増やすことを考えていないことである。通常、男女共同参画社会で「指導的地位の女性を3割にする」とか、「女性が輝く」こと、あるいは「女性活躍」という昨今の風潮からすれば、女性に焦点が当たるのが「常識」のような気がする。しかし、『報告書』はこのような世情に「阿(おもね)る」ことなく、女性を議員のなり手として期待しないというスタンスを貫いている点で、極めて「挑発」的である。もちろん、明示的に女性を排除しているのではなく、触れないという「沈黙」によって、女性排除を維持しようとしている。
この点はいくつかの解釈が可能であろう。第1に、地方政界は頑迷固陋(ころう)な保守の牙城であり、女性議員を増やすことなど現実的ではないという判断があり得よう。第2に、女性議員を増やすべきだということは、すでに世論の常識になっているので、あえて『報告書』で触れるまでもないと判断したのかもしれない。第3に、単に、事務職職員も委員も、男性中心のジェンダーバイアスを共有しており、無意識のまま『報告書』ができたのかもしれない。
しかし、筆者は以下のように考えている。第1に、1980年代の男女雇用機会均等、1990年代からの男女共同参画とは、女性の正規雇用を増やしたのではなく、所詮は男性正規雇用を破壊するという意味しか持たなかったように、女性議員を増やすという掛け声は、結局のところ、議員の仕事を破壊するだけに終わるということを、『報告書』は直観的に察知しているのである。男女共同参画は、労働者のなり手を増やしたかもしれないが、労働者の仕事の中身を改善したわけではなく、むしろ「安かろう、悪かろう」の雇用破壊でしかなかった。つまり、現下の風潮のもとでの女性議員拡大は、所詮は一部強者に有利に作用するだけで、議員の仕事を破壊するに終わることが見えるからである。
第2に、そのような状況をもとにすれば、「女性が輝く(shine)」とは、一部の世間では、ローマ字読みして「シネ」と揶揄(やゆ)されているように、「女性活躍」も所詮は「女性総動員」でしかない。つまり、女性のためにもならないということである。そのような状況下で、女性を議員のなり手には期待できないということかもしれない。