2016.01.15 政策研究
4半世紀を過ぎた島根県出雲市の「樹医」制度
元日本経済新聞論説委員 井上繁
自治体の取組がヒントになり、国の政策として全国に広がることは少なくない。特に、市区町村は住民に最も身近なだけに住民のニーズを把握し、それを制度に反映させやすい。4半世紀を過ぎた島根県出雲市の「樹医」制度も、そんな自治体先行型の政策である。
「木が茶色くなり、枯れそうになったけど原因がわからない。松くい虫の予防をしたいが、いつすればいいか。毛虫がたくさんついている。どうやって退治するのか。こんなときは樹医センターに相談を」と出雲市は折に触れ、広報紙などで呼びかけている。
人間が病気やけがをしたときは、医師に診断や治療をしてもらう。樹木にも、いつでも、誰でも、気軽に診断してもらえる“専門医”が必要ではないか。“緑の医師”ともいえる「樹医」制度は、こうした発想から同市が全国で初めて1990年に設けた。
出雲市によれば、制度創設に当たって林野庁に問い合わせたことがきっかけとなって、翌1991年に国が国庫補助事業として樹木医認定制度を開始した。こちらは、資格試験に合格する必要がある。受験できるのは、樹木の調査・研究、診断・治療、公園緑地の計画・設計などの業務経歴が7年(樹木医補の資格所持者は1年)以上の人である。現在は、一般財団法人日本緑化センターの認定する資格になっている。認定後の登録者は2015年12月現在2,464人である。
「樹医」と「樹木医」は木の字の有無が違うだけで、よく似ている。ただ、「樹医」は出雲市だけの制度であり、今では、全国的な知名度は「樹木医」の方がはるかに高い。
出雲は、古事記や日本書紀、出雲国風土記などに記された「神話の国」であり、自然や木の文化を大切にしてきた伝統がある。出雲地方には、黒松の屋敷林である築地(ついじ)松が多く残り、築地松と水田の織りなす散居集落はこの地方独特の農村景観を形成している。1992年に、当時、日本最大級の木造建築である出雲ドームを建設したのも、木の文化を後世に伝えていくねらいがあった。
「樹医」の業務範囲、認定基準、認定委員会の構成といった制度の骨格は、1989年に、出雲市、島根大学、島根県、市内の林業関係団体代表などで構成する樹医制度創設検討会が煮詰めた。業務範囲は、樹木の(1)病虫害診断と防除方法、(2)折傷治療方法、(3)植栽、育成、保育、管理、(4)緑化推進――のそれぞれの指導、助言である。「樹医」は出雲市樹医センターに所属し、市民からの依頼によって“往診”して無料で指導、助言を行うことにした。
認定基準は、(1)樹木の病虫害、種類、特性などに深い知識を持ち、その育成に積極的に取り組める、(2)樹木に関連した専門学部を卒業するなど学歴に応じて2~10年以上の実務経験がある、(3)出雲市に居住、または通勤している――などとした。試験は実施していない。認定委員会は島根大学教授ら5人で構成している。
最初の樹医については、市の広報紙で募集したところ16人の応募があった。このうち、農林高校の元教諭や現教諭、元島根県職員、木材加工業など造園や森林育成の専門家6人が認定された。2014年度までに総計14人の樹医を認定している。このうち、すでに8人が退任したため、現在も発足当初と同じ6人で活動している。
発足した1990年度の相談件数は432件だった。その後は、年間最多484件(2006年度)と最少223件(2003年度)との間で推移している。2014年度は328件だった。
この事業については、2010年度に行われた同市のゼロベース評価委員会で、受益者が庭や樹木のある市民に限定され、受益者負担のないことなどから廃止すべき事業と判定された。このため、2012年度から事業実施主体を民間である出雲地区森林組合に移し、市は同組合に対し運営費の補助を行う方式に改めている。
受益者負担について市は「引き続き検討」(曽田収農林水産部森林政策課長)としている。ただ、近年は、松くい虫による被害や、葉ふるい病といった松の3大葉枯れ病などの相談が多くなっている。被害の拡大を防ぐために、有料化は避けたい意向である。