2015.11.25 議会改革
『地方議会に関する研究会報告書』について(その5)
社会学的代表性
人(議員)が人(全住民)を代表するとして、前者と後者が本当に同じようなものなのか、という問いはあり得る。もちろん、人であることは同じである。しかし、人には様々な属性があるので、そうした切り口も含めて類似あるいは代表・反映をしているのかという疑問はあり得る。
例えば、日本人もアメリカ人も「人類は皆きょうだい」ならば、日本人を代表する議員はアメリカ人であってもよい、ということになり得る。しかし、現実には、日本国籍を求めている。もっとも、それ以上、どのような切り口に着目すべきなのかは、必ずしも自明ではない。いや、そもそも、日本国籍に限定すべきなのかは自明ではない。これは、通常議論されやすい外国人地方参政権の問題そのものというより、外国人地方被参政権・被選挙権の問題である。有権者が日本国籍に限定されていさえすれば、被選挙権を外国人に拡大しても、主人としての日本人の権限は侵されるものではない、とも考えられるからである。所詮、議員などの代表者は、国民から見れば公僕=従者にすぎないからである。
実際、自治体議員の場合には、日本国民であることに加えて、当該自治体の住民であることが被選挙権として必要である。住民を代表し得るのは住民でなければならない、というわけである。これに対して、首長選挙に立候補するには、必ずしも住民を要件とはしない。つまり、公僕である首長は、住民でなくてもよいのである。こう考えると、そもそも、二元代表制論のいうように、首長は全住民の代表なのか、と安易に認められるかに疑問は生じよう。
『報告書』では、「地域の多様な住民意思を地方議会に可能な限り公正かつ忠実に反映させるという社会学的代表の考え方を重視する」という指摘があったとだけ触れられている。第Ⅲ章ではそれ以上の検討はされていない。しかし、この点は、『報告書』では、第Ⅳ章で検討されている。これは極めて重要な論点であるので、今回は論点出しだけにとどめておくことにしよう。
【つづく】
(1) 『報告書』そのものに忠実に表現すると、「Ⅲ」とローマ数字が裸で記載されており、「第Ⅲ章」という表記ではない。しかし、本稿では、単に「Ⅰ」「Ⅱ」……では分かりにくいので、章立てとみなして、「第Ⅰ章」「第Ⅱ章」……と表記する。その下位項目は「1」「2」……であるが、「第1節」「第2節」と表記する。さらに、その下位項目は、(1)①となっている。